第4回 ポルノ被害と女性・子どもの人権シンポジウム 「国際的に広がる性売買被害 〜オーストラリア・韓国・日本の現状から〜」 キャロライン・ノーマ氏(オーストラリア)

商業的性搾取は、ある国の生産量が別の国の生産量に結びつく。破壊的な現象ではあるが、商業的性搾取の廃絶を目指す人間としては問題が”明るみに出る”機会でもある。商業的性搾取が何を媒介にして広がっているかが重要である。アメリカのラディカル・フェミニストであるジョン・ストルテンバーグは1992年に、世界的規模における近代的家夫長制国家システムの成功は性産業ビジネスによって形成されたと指摘している。豊かな西側世界における国際協力というのは、男たちのあいだで築き上げられたのであり、性産業の実践とその産物に対するアクセスを国際的に確保することへの彼らの相互関心を通じて形成された。グローバルな性売買は個々の国家の経済と政治にとって利益を生むと同時に、自国の女性たちが外国で「人権」侵害にさらされるという問題を引き起こした。たとえば、オーストラリアではここ数年、韓国人女性がオーストラリアで人身売買されていると韓国政府から厳しい批判にさらされている。

オーストラリアと日本の間の政敵交流は2つの形態をとっている。第一に、物質的、身体的な形で起こっている。オーストラリアの女性を日本の性産業に売ったり、ホステスバーのような日本の性産業の産物をオーストラリアに輸出したり、日本人男性による買春ツアーなど。第二に、日本とオーストラリアとのあいだの性的交流はイデオロギーのレベルでも生じている。オーストラリアのポルノ業者は「ぶっかけ」や「縛り」といったジャンルのポルノを日本における文化的伝統として正当化しており、自分達の金儲けの活動をロマンチックなものにしている。逆に日本の学者や「セックスワーク」を推奨する人間はオーストラリアの売春合法化政策を持ち出している。

オーストラリアにおける性産業の新聞広告はしばしば、「日本人」女性を提供していると主張しているが(スライドが遠くて日本人女性を提供しているかどうかは不明だった)、そうした女性の多くは実際には韓国人や中国人が多い。オーストラリアの性産業でアジア人女性が「日本人」として宣伝されるのは、オーストラリア人男性が戦後日本の占領時代に連合国軍の一員として日本人女性を売春したことがある。こうした歴史はオーストラリア人男性による日本人女性のフェティシズム化という遺産を残した。たとえば、日本の最初の「西欧人」芸者フィオナ・グラハムはオーストラリア人であり、オーストラリア人のメディアはたびたび彼女に関する記事を特集している。オーストラリアのメディアに彼女が頻繁に登場することで芸者のような日本の封建文化における性的搾取の側面に関するロマンチックな見方が助長されている。「日本人芸者」というイメージは、有名なタイル会社(ビザッツア)の2009年広告にも用いられた。この会社は日本人写真家の荒木経惟を抜擢し、色タイルのフロアの上で縛られた姿で横たわっている「芸者」をイメージしたマーケティング・キャンペーンを企画した。この広告をめぐって世論から批判が巻き起こり、女性性を商品化して製品を売っているとの理由でオーストラリアの公共広告機構はそれを禁止した。(上記どおりの写真がスライドで表示される。胸や股間、肛門に焦点を当てたということもなく、衣服の一部をつけないということもなく)

しかしながら、日本の性産業がオーストラリアに与えた影響は文化的なものにとどまらない。シドニーには、もっぱら日本人女性だけをリクルートしている「ホステスバー」が存在している。採用募集ページの中国語と英語のボタンが機能してない。これが示唆しているのは日本人女性だけを募集の対象としているということである(これは誤りであると思われる。日本語の場合のみ待遇に「無料英会話レッスン」が提供されているため、募集要項は厳密には「日本語を理解できること」ではないだろうか。実際、ホステスの8割以上が日本名をつけているが、エレンやレオンといった明らかな英名が存在する)必ずしも女性たちがこのような場を通じて売春に従事させられているとはかぎらないが、この5年間ほどでオーストラリアで「ホステス」街が出現したことは、性産業とその業務形態が「アジア化」しつつあることを反映している。

日本の性産業擁護派の人々は性買春に対するオーストラリア政府のアプローチを日本の性産業にとって見習うべきモデルとして持ち出している。オーストラリアにおける性産業合法化の影響は実に深刻なものだった。シドニー都市圏では売春施設にいる女性の50%以上がアジア人か非英語圏の人々である。売春合法化のせいで人々は政府が性産業に対する厳格な監督を執行しているものと信じ込んでいるが実態はまるで違っており、キャンベラの性風俗店は1990年代末にこの地域で売買春が合法化されてからの5年間、政府ないし警察によるいかなる正式なチェックも受けていなかったことがわかった。性産業の合法化を主張する人々の言うこととは違いオーストラリアには「セックスワーカーの組合」は存在しない。被雇用者としてではなく請負事業者として分類されているためだ。

「ぶっかけ」や「緊縛」というジャンルの日本のポルノはオーストラリアの性産業では非常にポピュラーであり、縄で縛られた女性の『完全な縛り(Complete Shibari )』という表題のアメリカの本は、1ヶ月前にオーストラリアの大手書籍販売サイト(booko)で元も売れた本の第二位につけた。

オーストラリアと日本には、性産業に対するアプローチの点で多くの共通点がある。両国の政府は売春とポルノグラフィにとって以上に歓迎的で業者に好意的な環境を作り出す政策をじっこうしている。日本とオーストラリアの社会のどちらにも産業化された売買春の長い歴史があり、女性と子どもを買う男性の「権利」を公に容認することが両国において深く定着していることを意味している。韓国で性産業が犯罪化された2004年になってようやくアジア地域の売買春に関してオルタナティブな政策モデルが登場するようになった。私は今後、韓国、日本、オーストラリアの活動家たちが協力しあって、国境を越えた人身売買、ポルノ取引、買春ツアーといった諸問題をめぐってできるだけ大きな「外交的緊張」を作り出すことができるようにしたいと思っている。グローバルに広がる商業的性搾取と対決する上での私たちの最初の課題は、グローバルな性産業が起こるのを許している政府間の協力に介入することだと思う。

感想

オーストラリア人のオリエンタリズムを日本のせいにされてもなあ、というのが主な感想。時間短縮のため紹介されませんでしたが、オーストラリアにはセックス党が存在したり、Mark Mclellandという人が都条例を批判していたりした模様。あとで時間があったら調べてみますか。

オーストラリアにはセックスワーカーの組合が存在しないという件ですが、オーストラリアにはスカーレット・アライアンスという性労働者の団体が存在していているようです(http://api-net.jfap.or.jp/library/societyInfo/asia_aids_2011/20.html)。請負雇用者として雇用されているため組合が存在しない、という論理はあまりにも形式上すぎる、端的に言って難癖だと思います。実態は使役されているのだから労働者として扱うべきだ、というのがまず行うべき主張であるはずですが、性売買廃絶を唱える立場上そんなことも言えないんでしょう。

季刊セクシュアリティの47号が非難されたような、セックスワーク派との対決姿勢の強さも気になりました。