5/20 第1回 メディアと表現について考えるシンポジウム

第一部

(林)今回のテーマは自分の生きる現場はちょっと我慢すればよいと、後回しにされてきた簡単なようで難しいテーマ。受け手が発信者になる時代
(小島)バラエティ番組から「中年女性怖いと言って良い」というメッセージが伝わってないか。表現するときの選択・場所・文脈を今以上に意識するようにしよう。誰も傷つかない社会を目指して対話を始めよう
(竹下)事例紹介。うな子、アメトーク、ムーニー。企画側から表現の幅が狭くなった、口うるさい奴だと思われていると語る芸人もいる。この「分断」を乗り越える
(白河)事例紹介。うな子、「人気のある」碧志摩メグ、婚活ブック。炎上までは行かなくても女性が働いていないイクメンブック、女性が働いていないライフデザイン双六、母子だけが取り上げられるイクメンイベントの子育てパンフ。提案1、男女共同参画担当と協働。提案2、誰がチェックするか。
(羽生)ママパパとして「子供に見せたくない」テレビがある。これはひどいんじゃないかと読者からメールが届くことも多くなってきた。子供のいじめで「笑い」を意識したものがある。テレビをまねしていないか。ネットの作り手として4回くらいクリックするとアダルトコンテンツが出てくるインターネットは「クリックすらできない」。男性が作ってきた文化だと思ってます。ネット空間では被害者はいつも女性で慣らされてしまう感覚がある。
(加藤)女性のエンパワメントを仕事にとしている。あらゆる人があらゆる場所で自分の可能性を安全な社会のもとで目指していけるように。2000年のミレニアム開発目標の達成を5年後に控えた2010年、それまでは表面になかった問題が出てくる。「文化的な意識と普遍的人権が近況関係にある場合、後者を優先すべきだ」。unconsciousnessな差別がある。これはダメではなくこれもいいね、なエンパワメントする社会をつくる。
(大澤)刑法性犯罪を変えよう!プロジェクトでは性や性暴力に関するすり込みを可視化するため、女性の魅力は性的なもの、痴漢を受け入れろなどといった発言を耳打ちされるなかで人はどのような選択をするのかというロールプレイを実施している。日本は性教育の代わりにコンビニのエロ雑誌、ネット上のアダルト広告、壁ドンは性犯罪ですよねトキメキますか? 性関係において相手の合意を求めましょう。親子、上司、友達、パートナーを通じた被害の再生産。黙っていることはこれに加担すること。どう声をあげれば会話になるか。(1)当事者が自分の経験、「なぜ」変えて欲しいかを伝える(2)具体的な変化を求める(3)共感の輪を広げる。周りの人と話して価値観、気持ちを伝えて「市民の声」へ(4)リアルな関係を構築し対話をする
(田中)長年メディアでジェンダーが広告に対し取り組んできたことがオンラインの無法地帯で台無しにされている。インターネット上の批判されるCM、作る側は前向きに女性を捉えているつもりである。受け手はディストピア的現実を美化、肯定するためのイデオロギーと感じる。SNSは女性にとって主要な発話空間。「瞬間の君臨」瞬間的に膨張し、忘却される。かつては「私作る人、あなた食べる人」のようにスローだった。炎上CMに対しネトフェミ、自分はつらくなかった、などと語る人と時間をかけて対話する空間をどう構築するか。
(緑川)21条では一切の表現の自由を私たち一人一人が持つ権利として認めている。根拠は2つ、民主主義社会でコンセンサスを作り上げるため、人格形成と発展・自己実現。ただし、他者の権利との調整は必要最小限になされる。ここでは具体的な権利侵害が必要。セクハラ・パワハラは会社から見れば労務問題、経営問題。一般企業ではセクハラパワハラとされる事項が、バラエティ番組の制作現場では演出であるとして声を上げられないことはありうる。受け手が不快だ怒りがこみ上げる、これは具体的な権利侵害ではない。お互い表現の自由を行使し合って違う価値観を主張する。理解と共感を求める議論を。

第二部

(林)分断、断絶という話があった。これまで対話が少なかったのではないか。笑いと暴力が近い関係にある、問題だと思いました。
(小島)自由は「あなたはあなたでいていい」ということだと理解している。ネットの個人アカウントの声も聴けば「そこにいていいよ」と力づけられるものでもある。表現とは発言の場を作ること。
(竹下)多様性、偏見に気をつける。制限があるからこそよい表現が生まれるのではないか。言っていいこと、悪いことが変わったならそれに取り組むのがプロ。むしろそこに自由を感じる。自由は対立する概念でない。
(白河)メディアは男性社会。経済界の方が進んでいる。地方は女性が(議会などに)いない所は……。とはいえ女性がいればいい問題ではない。スポンサーの女性もいいと言っていました!にはダイバーシティインクルージョンがない。女性の中にも多様性がある。
(小島)「男ってこれが正解」に適応することが幸せでない人も多いと思う。女でもセクハラされている人は魅力がないと言う人もいる。男VS女でも世代論でもない。
(羽生)(前発言からつなげて)多様性のない世界も多様性があるように見えてくる。マイノリティになると本来の自分が語りにくい。たとえばパパをママに変換すると、「とんでもない」文章ができあがる。
(竹下)heをsheに変えるだけで意識が変わる
(大澤)性暴力が起こる現場でジェンダー不平等がどれだけあるかのロールプレイを行っている。同意がないストーリーを同意あるストーリーに書き換えることが目標だが、それすら難しい。
(加藤)女性がかわいそうだから〜というトーンがこれまで多かった。これが男性への差別になる。男性も子供とかかわりたいのに! カテゴリーで考えない
(田中)教育が大事。女子大でジェンダー教育、デートDV、etcを教えているが自己防衛のための教育にしかなっていない。外の男性が多いサークルでは授業と全く違う扱いを受ける。
(緑川)「私作る人、僕食べる人」を見て絶対自立した人間になるため仕事を手に付けようと思った私だが、本当に男女は同じ権利を持ち、性別役割分担を克服できたか。誰から強制されたわけでもなく、社会の中でうまくやっていくために。自分の中の問題でもある。表現の自由を行使することでいろいろな価値観の人と対話、フィードバックをお互いにし、よい社会を作ることを意識していこうと思った。

第三部*1

Q.(次世代社会研究機構 西田)メディアこそ表現のプロでないと思っている。ビジネスの中で生きている。本日の感想として、論点を整理して話すのは学術の方だったと思います。小島さんのような方はまれな方で、枠の中でどう表現するか非常な努力がある
A.(竹下)枠があるからこそ芸術が生まれる。インターネットでは自分の名前で記事を書いている。FACEBOOKのシェアでは300あったし共感を得ている。(林)TVでは電波法の大きな影響があり、そこで暴力的なプロではない話が出てくることに対して問題提起
Q.実際、ムーニーCMを人はどう思っているのか。私はよいCMだと思った。
A.(竹下)素晴らしいという人が多い。オチでこのまま頑張りなさいというメッセージ、夫がちらっと映ることで批判された。(小島)宝物になるから我慢しろというメッセージを受け取った人もいる。
Q.そういう人もいるから中止というのはやりすぎでは。
A.(小島)炎上したことでとりやめるのか、続行するのかは企業に委ねられている。(竹下)ムーニーはとりやめなかった。じゃあ皆さんの意見を聞きましょうという印象を受けた。
Q.製薬会社のコンプライアンス担当です。巨大な敵として「笑い」が出てきた。私の息子もyoutubeを浴びるように見ている。いわゆる優等生でない人にも伝わるようなコンテンツが必要ではないか。
A.(白河)ナインティナインがやってる婚活番組を元にした地方自治体のイベントがあり、元ネタでは男性が女性のところへ行くものもあるがイベントではんそうではない。TVの影響は大きい。
Q.TBSラジオリスナーです。マスコミで働いている人が自分で「マスゴミ」と述べる環境って……。
A.(小島)たかがTV雑誌、されどTV雑誌。プライドや責任と、たかがTVだ高をくくる、この二つの気持ちが対立するなかで「これくらいならいいだろう」と思うところに小さな暴力性がある。
Q.ライターです。マイノリティは発信者になれない。出演者はある種の力を持っている人。
A.(林)声を上げない上げられない多くの人を自覚しながらシンポジウムを企画していくべき。それでは最後に140文字いないで一言ずつお願いします。

(小島)笑いは本当はいろいろなものをつなげるためにある。
(竹下)私が育児休暇を取ったときに妻の尻に敷かれたのかなどと言われた。マジョリティも、もしかしたらマイノリティになる瞬間があるのかもしれない。
(白河)笑う方が権力を持つ笑いっておかしい。性教育が壊滅している。
(羽生)発信者と受け手の分断はそこまでひどくはないと思っている。ネット上の炎上は(企業に)届かない。本当に意見がある場合は実名を出して意見を頂ければ。一週間かけて取材するなど、取り組みを積み重ねていきたい。
(加藤)いろいろ違う意見を聞く場が東大で行われたのは素晴らしい(笑)年いってる人間があきらめていることも、連携すればできる時代になった。
(大澤)悪いコンテンツを変えるだけでなく、良いコンテンツを盛り上げることも大事。どういう声があったら行動を変えられるか?こういう風に思うことを発言することが大事。
(田中)同世代の男性は育休を取ることが多くなった。女子大でも良妻賢母を作る教育からいかに自立するかの教育へと変化している。
(緑川)発言できないマイノリティという現実がある。しかし、マイノリティはずっとマイノリティなのか。権力を持っていた人も時代が変われば権力を失いこともある。家の中、職場の、学校の関係etc、立場はある時点で変わることがある。違ったたちがからは別の視野で見ることができる。考え方が違うことを認めながら根気強く話を続ける。
(林)多様性を実感できる場所が少なくなっている。

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*1:回答者に自信がありません