「漫画のジャンルは非常に広大である。ポルノから量子力学の話まで漫画にできる。非常に難しい知識を提供し、非常に原始的なセクシュアリティを話すのに漫画は非常に有効であるが、我が国では、残念なことに、漫画で最も重要な領域の一つである大人の漫画の領域がありません」
「漫画は抑圧に挑戦して想像力の自由を持っている。漫画の領域の一つには、大人のためのコンテンツが存在しなければならないのは明らかだと思う。性的なコンテンツを持っている人々が変なことをするかはまた別の問題だ。韓国の公権力は、青少年を保護するという理由で大人の漫画という媒体をまず捕まえるという誤った考えを持っている。漫画が持っている多くの利点の中で漫画家に与えられる媒体の自由さという特徴が、最終的に、今日のウェブトゥーンを作り出しました。ウェプトゥーンを超えて数多くの様々な話を漫画に入れることが必要だと思う。」
「結局、漫画というのは、自分が見たものを表現したいという強力なコミュニケーションの欲望とその情報を表現したいという創造的欲求が、有り余って登場したものだ。もし、その"ヒップ国 "という友人が朝から夕方までサークルや勉強をして普通の子供のように大学に行ったなら決してそのような漫画を描いてなかっただろう。その人の才気溌剌な想像力は、自分の人生のいくつかの余剰さの中で出てきたものであり、その余剰さをインターネットに費やしたりを、横になって無駄にしたのではなかった。彼は、その余剰な時間を使って、自分が話したいとうい欲望を漫画で表現しようとしたので、世の中に現れたではないかと思う」
「漫画という媒体が映画化され、ウェブトゥーンを見るのが趣味になって、漫画家は多かれ少なかれ金を稼げる時代が来た。漫画の需要はますます感じるが、逆に漫画は、ますますその本質の自由を失っている」漫画の本質と精神を守ろうとする”漫画界のドンキホーテ”パク·インハは今日も若者のために漫画の自由を叫ぶ。
”韓国漫画自由化万歳”を叫んで漫画のために積極的に生きていくパク·インハや”ヒップ国”のようなとんでもない新人も自由に自分の漫画を世界に堂々と見せることができないのだろうか?そのパク·インハは若いウェプトゥン新人作家たちを、そして漫画家を応援し、自分の "余剰"と "欲望"を精一杯発散していた。