ガルブレイス氏、マクレランド氏の論文要約

前回の続きです。

マクリランドはまた、「表現と思想の自由」を根拠に日本における写実的なアニメの子どもポルノの合法化を擁護しており *1、さらに、性的な漫画の小売り販売を規制しようとする最近の東京都の試みを批判しています。*2

マクリランド氏は日本のアニメを写実的とは思っていないだろうし、”性的な漫画の小売り販売を規制しようとする”だなんて訳しちゃ駄目じゃないかpapsjpと思いますが、前回ほどひどくないので要約のみ訳出します。

ロリコン:日本における「バーチャル児童ポルノ」の実態

要約:その大衆文化が急速に世界中に広まったために、児童ポルノを規制するためのグローバル基準を満たすよう日本に対する圧力が増している。また、純粋にに架空の画像も(犯罪に)関与しているとほのめかされてきた。ロリコンは、マンガやアニメ、ゲームにおいて性的ときには暴力的なシチュエーションにある「未成年」のキャラクターを指すキーワードとして使われている。

本稿では、大規模かつ長期にわたりロリコン作品を生産し消費している日本の(オタクと呼ばれる)ファンコミュニティを調べるなかで、メディア効果論に対する疑問を呈している。日本の最近の論争のなかで、最終的に採択された新しい条例の提案者は性的かつ暴力的なマンガ・アニメ表現はそれらのコンテンツを「読んだり見たりすることは理解する唯一の方法であるから」特に規制すべきであると主張している。

しかし、ロリコン文化を再検討すると、メッセージとその受容は言われてきたより遙かに多様かつ複雑であることを示唆している。フィクションと現実の関係さえも簡単なものではない。新しい条例に答えて、藤本由香里氏は以下のようなコメントを残した。「マンガとアニメは現実に存在する対象に対する欲望を表現したものであるとは限らず、現実での欲望を実現しているわけでもない」

法的な観点から、ロリコン作品の生産に未成年が巻き込まれることはなく、身体的危害が加えられることはない。ロリコンの存在やロリコンコンテンツとの関与が「認知の歪み」または犯罪行為を奨励するという主張を支持する証拠はない。マーク・マクレランドが主張するように、これらの作品を犯罪化することは「思想検閲」であり、「想像のjuridification(??)」の傾向を表している。これは潜在的に想像の代替案や、支配的な文化と折り合いをつけたり反対するコミュニティをシャットダウンすることになる。

治安維持と青少年の保護を考える。「非実在青少年法案」をめぐる日本の議論から

要約:2010年初頭に東京都知事石原都知事は、国際的な児童福祉団体や日本の保守政治家やコメンテーターのサポートを受けて東京都において18歳未満に「不健全」であると見なされた出版物の販売を禁止する「青少年健全育成条例」の範囲を拡大しようとした。ポルノグラフィもしくはきわめて暴力的とされた作品はすでに未成年への販売を禁止されていたがしかし、提案された拡張規定は「非実在青少年」の出版物を含んでいた。「非実在青少年」は純粋に架空もしくは想像上のキャラクターが、18歳未満に見えたり聞こえたりするものであり、「無謀に」性的なシナリオで描かれたものである。

多くの西洋諸国では、そのような描写は18禁になるだけではなく違法である。ただし、ほとんど公的な関心や調査なしに法律は通過した。しかし、日本の文脈では、「非実在青少年」描写の販売(製造ではない)の禁止の提案に対して公の反対運動が起こったことは注目に値する。民主党共産党コミック10社会、1421名の漫画家、日本ペンクラブ、日本マンガ家協会、日本作家協会、いくつかの弁護士会や学者や架空の漫画のキャラクターでさえも、皆が条例案に反対し、結果として法案は再提案されることとなった。

法案に対する一般市民の怒りのほとんどは日本国憲法で保障された大人の表現の自由に対する制限に向けられたが、多くの解説者は条例案がその優先順があべこべであると主張した。温情主義的に「不健全」なコンテンツから未成年を「保護」するよりも、アニメや漫画が提供する幻想的な空間は未成年にとって人間の行動の難しさについて知り、難しい局面に対峙するための理想的なコンテキストであると主張された。本稿では日本にける最近の議論から、若者における「非実在青少年」の影響力と日本の漫画とアニメ産業における表現の自由は児童の脆弱性と無垢さを創出する更なるグローバル化と植民地化と直面して持続可能であるかを研究する。