第3回 ポルノ被害と女性・子どもの人権シンポジウム『子どもの日常を取り巻く性被害〜学校・ストリート・施設〜』 速記録 その4

金子由美子氏

現場にいる者として、子どもたちの中に信頼できる大人がいないと感じます。セックスに対して早々と行動するべきという情報が流れています。思春期だと学力・スポーツなど自己顕示のできない寂しくて自身のない子がセックスを自己肯定のツールとして、セックスすることで大人びたと錯覚するくらい性の商品化の中で情報が溢れていることが気になります。

話を聞くと、自分が最初に経験した子が学校には本命の彼女がいて「体だけだよ」とセフレとして扱われます。ワイドショーでの麻木久仁子の三角関係にひっかけて「センセー、あたしって麻木久仁子タイプなんだよね」と話すように、性に対して境界線がありません。その子が言うには性体験は中学生のうちにしとかないと価値がないそうです。「自分バカだから、高校生になれないし」中学生を狙う男が多いということでしょう。

現場でどんなことができるのか。子どものプライバシーを守るため担任などに言わないことにしているのですが、発覚したらクビになるんじゃ的なおそれから黙っていることは難しいです。とある学校で中学生の妊娠があり、自分の胸に隠しとおすことができずにその子の担任に相談したら親が呼ばれて、その子は「先生はもう一生信じない」と言って学校に来なくなったそうです。性に関することに対して人権という概念がないかぎり、世の中や家庭のなかで性的関わりを持った人に対して「あいつはエロづいてる」「どうしてそんな行動をとるのかわからない」と言ったり、被害者に対してミニスカートをはいているからだと言ってしまいます。プライバシーを学校の中でどうやって守るか、育ててゆくのかが問われます。

先生方が人権侵害をしているようでは、子どもたちは絶対に先生を信用しません。1999年にセクハラ防止について通知が来ましたが、私もセクハラという単語がある以前は訴える術を持っていませんでした。性教育の重要性を訴えると女子だけに性教育の授業をお願いされ、その授業で男の人たちがニヤニヤとはたから見ていたのですがそれが「セクハラ」だと分からない。私が保健室にいると「先生はミニスカートだから生徒たちが集まりますね」とか言われてもなんかもやもやとしたものがあるけれども形にならない。セクハラという言葉ができて感知する能力が高まって、ようやくそれがセクハラだと分かる。女子生徒に弁当を作らせるとか、マネージャと称してジャージを洗濯させたりマッサージしたりさせたり。セクハラという言葉がそれらの浄化に役立ちました。

学校という場所は公私の区別がありません。ケータイを持っていることで女の子にセクハラメールが可能です。「○○先生からハートマーク付きのメール来るんですけど」という相談や、更にエスカレートする事例もあります。部室の中には一切入ったことがないのでよくわかりません。アカハラもあります。教育実習でかなりの率でセクハラが行われています。

男性教師が生徒と不適切な行いに及んだとします。すると、同僚は○○さんは良い人なのに魔が差したのでは、娘さんがいて明るみにするのは可哀想じゃないかとか、あの人は熱心だからとか、性被害の相談に乗ると同僚から嫌がらせを受けることになります。弁護士、医者とのネットワークが必要です。それがないと性被害の訴えを聞いた職員が孤立する、というのが現状です。

司会コメント

子どもの立場に立って考え方や性教育をする人が孤立する学校の体制にも問題があると感じました。育成過程で教育を徹底する必要があると感じます。

早川悟司氏

居住環境の改善、教育機会の確保。施設で性的トラブルがあるのにも関わらず公的指導、バックアップがありません。問題を認識していない施設もあります。子どもも口に出せず潜在化しています。性的問題に対する認識がない大人が性を蔑視することもあります。一番大事なのは、子どもには性的トラブルがあってはならないから訴えていいのだと伝えること、そして大人が対応のすべを知ることです。

子どもが警察に訴え出て色々と聞かれて更に傷付くケースもあります。「あなたは悪くない」という言葉を態度を見せることが大事です。「何故このとき逃げなかったのか」という言葉はその子を否定していることと同じです。男の子同士の性的な事故の話を聞いたときはショックを受けました。その晩は泣いて過ごしたくらいです。でもショックを受けるようではケアができない。構造的問題と捉えて将来の(同じような事故を)防ぎたい。子ども自身が自分の身体は汚れた、もうダメだとすり込まれることもあります。身体が汚れることなんてない。君は悪くもなんともない。今は傷を負っているかもしれないが、人間には回復能力があります。子どもが自信の過去を乗り越えられるよう手伝いをしたい。

一方で援助交際をする女の子には被害を受けているという認識がありません。その行動を否定しても意味がありません。淡々とリスクを伝えるしかありません。その子を否定的に見るとかではなく、望まない妊娠であったり性病のリスクetcを淡々と伝えます。大人の態度として必要なのは、加害・被害どちらも子どものせいと考えないことです。

司会コメント

「あなたは悪くない」と子どもを支え、その子が回復するまで側にいること。子どものための施設ではありませんが、私たちが関わっている婦人保護施設は性を中心とする施設です。被害者の声に耳を傾けていくと、自らのセクシュアリティを問われます。乗り越えて一緒に向き合っていく、そんなことが大事だと思いました。

橘ジュン氏

神待ち」という言葉があります。その日寝る場所がない子に泊めてあげるよと寝場所を提供してくれる人のことのことです。当然相手には下心があります。女の子も当然悪いしそういうことを誘いかける男性も悪いですが、いい悪いの前にどうしてそういうことをしないと生きていけないのか。その子は「楽なんだ」と言います。寝場所を得るという目的がはっきりしているからと。「楽」のなかには深い意味があるのではないでしょうか。

家族も友達も、朝におはようと言ってくれる人もいるのにそれでも寂しいという子もいます。人を好きになったことが分からないという子も、ひとりぼっちにはなりたくないから援助交際をしちゃいます。女の子は親から性的虐待を受けていて、家庭という安心した暮らしが分からない子は、自分の居場所が分からない。ピンと来ない。小さい頃から虐待を受けていた子が、17歳になってやっとそのことを告白できた子が里親を見つけるのは大変です。どこに行っても「ここは私の居場所なのかな?」と思ってしまうからです。

仕事ない住所ない保険証ない。そんな子がどこで働けるか――夜の世界になってしまう。18歳以下だと働けないことになっているけれども働ける場所もあります。正直したくないけれども、せずには生きていけない。命を、身を削って生きています。

子どもたちには将来こうなって欲しいという支援ができない自分へのいらだちもあります。困っている子ほど自分の身を守るための要求ができない。そういう場所でしか生きていけない。それが私が見ていた子どもたちのリアルです。

私と公の連携はスムーズではありません。応援している本人が嫌がる、抜け出す。そのたびに「安心して過ごせる場所だよ」と伝えるのですが、でも抜け出します。安心できるはずの場所を「私の居場所ではない」と思ってしまうのです。行政の窓口だからと信用はしていません。この人なら大丈夫と思える人に繋げています。行き場のない子どもたちが出会いを繰り返すうちにこの人ならと思える、そんな人と場所と繋がることができればと思って活動を続けています。

司会コメント

性被害は単に性被害にとどまらないということが分かりました。人を信じるということが分からない子たちが「ここで暮らす」と決めるのは難しいと思います。それほど性的被害はその人を破壊する行為なのです。社会的貧困のなかにある子どもたちが被害を受けないようにするにはどうすればいいのか。子どもの問題というよりは社会の問題です。次に子どもの性被害の解決に向けての課題について金子さんお願い致します。

金子由美子

性教育という観点でお話ししますと2003年に性教育バッシングがありました。理科・保健で教えることになっていますが未履修の子も多いです。その中でポルノ情報は、生理のときであれば子どもができないであるとか三人とやれば精子が混じって届かないとか誤った知識を伝えています。それに対して正しい知識を教えなければなりません。

社会的ネグレクトという言葉があります。必要な教育を与えない、放置している人は加害者であるという考え方です。性教育に対しても、コンドームはバッシングされますが、女の子が持っているものだとされています。中学生の小遣いではコンドームは高くて買えないので外だしするしかないという現状です。他にも中学生は検査を受けられないと言われることもあります。金を出すにも個人の力では限界があります。教育という立場だと非常にハードルが高く、セックスを奨励しているとか言われます。性教育のための基金が必要です。

また、子どもたちの現実を見ることが必要です。教科を受け持っている職員は黒髪の子はセックスと関係ないと思っていますが、そういった子はおとなしいので逆に被害に遭っています。どうも学校というところは派手じゃない子には目が向かない場所のようです。全ての子どもたちに目を向ける必要があります。性教育に関しても様々な場所や手段で――例えば、子どもの権利条約が使えると思います。国連も日本の性的教育のレベルの低さを指摘しています。ポルノにも負けない自己決定能力を育てる必要があります。もちろんポルノは子どもたちへの暴力と観点で捉える必要があります。教員もポルノを見たことがある人が少ないので、ちゃんと見てそれについて話せるようになる必要があります。

司会コメント

この状況を放置する社会が加害者ということですね。ポルノを視聴したこともない大人が多いというお話ですが、逆に視聴しているからこそ気付かないのだと私たちは考えています。

早川悟司氏

解決策について3つ提示したいと思います。

『一、児童虐待の問題は親の問題ではない』子どもは虐待を受けて社会的にAbuseされてさらに性被害を受けるのですが、ある特殊で未成熟な大人が児童虐待をするのではありません。特定の状況におかれたら私だって虐待する親になるでしょう。母子家庭は収入が少なく就労機会に恵まれず、就労できても子どもの送り迎えに保健所に行けば使えない奴と見なされます。誰も褒めず、支えもしない。地縁・血縁がない東京ではなおさらです。一週間のうち6日間チクチク嫌みを言われ、7日目に鬱積した感情が暴発して子どもに当たってしまう。それが2度、3度続けば子どもを施設に取られてしまう。7日目ばかりに社会は目を向けますが、その前の6日間――社会の文化・風潮を変える必要があります。

『二、18歳までの保護』最低限18歳まで、できれば20歳まで責任持って社会・国が保護する必要があります。性的問題も自己責任論で子どものせいとされますがその考えを考え直さないといけません。子どもに責任はありません。

『三、積極的教育』性や子どもを育てることは大事なのに公教育から排除されています。大半の大人は教育を受けずに親になり、よかれと思ってマイナスな関わり方をしてしまいます。みんなが教育を受けることが大事だなと思います。

司会コメント

被害を受けないため性教育が大事だということを伺いました。

橘ジュン氏

こうやれば赤ちゃんができないという情報をよく聞きます。コーラで洗えばOK、逆立ちしたからOK。子どもが悩んだときにちゃんと考えて応えてくれる人が必要です。直接ではなくてもネットで応えるとかでも構いません。そういう意味ではネットになってちょっと楽になったと思います。その「ちょっと」が大事だなと思います。ただ、問題は私では解決できません。だから私は必ず最後に「またね」と言います。それが私と彼女をつなぐ言葉です。

私もメールで子どもと繋がることが多いですが、私の場合は顔を出しているから向こうが選ぶことができます。子どもは会っていい人、悪い人の区別がつきません。エスカレートすると下着姿を相手の言われるまま出してしまって、それをもとに脅迫されて――ということもあります。顔の見えない相手は最初は安心できます。学校の先生でもなく、親でもないから言いやすいのです。それが救われるときもあるし、危険なこともある。子どもは分からないので親が見守ることが必要です。

施設も状況を変えるためには時間がかかってでも18歳まで面倒をみるべきです。失敗ができないのがその子を生きづらくさせる。失敗しても見守ってくれる大人がいれば、いつか力をつけたときに自立できると思います。学校でも保健室には行きやすいですがカウンセラーのとこには行かない子が多いです。一人で抱えきれる問題ではなく、知れば知るほど怖くなります。こぼれ落ちる子どもへの支援、セーフティネットはどこにあるのでしょう。困っている、どこにもつながることができない子どもの声を聞くしか私にはできません。これからは子どもが声を挙げられる場所を作っていけたらなと思います。

司会コメント

子どもたちが暴力的なポルノから誤った情報に対して「待て、それは間違っている」と言えるはずの大人の私たちが子どもと向き合っていないのではないかと感じました。性被害の背後にあるポルノに対して、何がポルノかという基準や児童ポルノの単純所持の禁止が必要です。強大なポルノ産業の利益を守るために(ポルノ産業が?)社会的無関心を生んでいるのではないでしょうか。

私たちが言っているポルノとは何か。私たちがポルノ問題について話すのはポルノに苦しんでいる人がいるからです。私たちが作成したリーフレットがありますので後でお読み下さい。

総合司会 横田千代子氏

私たちはスタートの際、全くの無一文からはじめました。皆様のご協力を頂いてかろうじて運営できています。これから係の者がカンパ袋を回させて頂きます。皆様のご協力を頂けると幸いです。