第3回 ポルノ被害と女性・子どもの人権シンポジウム『子どもの日常を取り巻く性被害〜学校・ストリート・施設〜』 を聞きに行った感想

表現規制について少しだけ考えてみる(仮)のふぶら氏、ロック好きさんの感想とほぼ同じになりますが……

まず目に付くのはポルノ・性被害に対する過剰な言及です。

去年では中里見先生の講演で理論的にまとめられていたポルノ批判が、あれもこれもポルノ・性被害が原因であると短絡されて話されるようになってしまいました。

例えば、橘ジュン氏の語る性的虐待を受けて「ここは私の居場所なのかな?」という子どもに対して「それほど性的被害はその人を破壊する行為なのです」という論評は的を外していると言えるでしょう。この言葉は、子どもならば”当然持っているべき”安心して暮らせる場所が存在しなかった過去に対する反応です。性的虐待は虐待の最悪の形態だと思いますが――暴力的虐待も人を破壊する行為です。性的虐待に問題を絞ることが却って問題の解決を妨げることを危惧します。

例えば、早川悟司氏の語る児童福祉施設の改善案に対して、自分たちが関わっている性を中心とする婦人保護施設の話に繋げてゆく。明らかに主軸ではない男の子から男の子に対する性加害については後に掘り下げるとまで言うのに、早川悟司氏が重要視しているであろう親への支援は関心がなさそうに見えました(メモしていないだけで発言があったのかもしれません)

最悪だったのは、金子氏が性の商品化の文脈で少年サンデーのグラビアが性情報の伝播の役割を果たしているのではないかという指摘がねじ曲がって「少年サンデーはほとんどポルノ」と短絡化されたことです。今回のシンポジウムにも関係する児童福祉司児童虐待が取り上げられたマンガも載っているのに、です。

尤も、これらの印象は司会の二場美由紀氏の下手さにあるのかもしれません。パネリストの方々の話の一部をオウム返しに繰り返しては次の発表者に繋いでいるような、司会としての役割を果たしているとはとても言えない状況でしたから。そこにpapsjpの日頃の主張を挟み込むとあたかも「パネリストの話はどうでもいいけれどもpapsjpの日頃の主張だけは伝えたい」ように聞こえてしまいます。

次は表現の自由に対する敵意と、国民的合意に対する偏った理解です。

カイ・レイニウス氏の講演の直後のコメントは別としても、閉会の挨拶にNHKへのコメントといい「表現の自由より子どもの人権擁護が大事」という言葉がお気に入りのようです。ですが、カイ・レイニウス氏の講演にはあった議論の末の国民的合意という前提が何故か抜け落ちています。そこにきちんと言及する中里見教授はさすがですが、ポルノ売買春の問題と性加害の結びつきを理解することが国民的議論であり、社会的合意であると初めから決まっているかのようで、私の「国民的合意」の考え方とは相容れないようです。

中里見教授といえば、文章に書き下ろすと全く伝わらないのですが、去年は都条例についてさらっと「子どもの人権を基礎に据える点では評価しています」くらいの扱いだったのに、今年は都条例ごときに手こずったことが気に入らないかのような雰囲気を醸し出していました。