表現規制の歴史、あるいは反CSECの歴史*1
反CSEC(CSEC:児童の商業的性的搾取)についてはECPATの存在なしに語ることはできません。1990年代はじめ、欧米や日本の観光客の一部が東南アジアの児童を買春する事態がレポートされていました。これに対してアジアの児童を救おうと立ち上がったのがECPAT(End Child Prostitution in Asian Tourism)【アジア旅行における児童買春を禁止する運動】です。1992年にはECPAT/ストップ子ども買春の会(通称エクパット東京)も活動を開始します。彼らの活動はUNICEFなどの国連諸機関を巻き込み、1996年8月の「第1回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」(ストックホルム会議)に結実します。同会議で日本は買春ツアーの主催者、児童ポルノの製造国として諸外国から非難を浴びたことが児童ポルノ法成立の起因です。後者については、パネリストとして参加したエクパット東京の宮本潤子氏により、日本の書店のほぼ100%に児童ポルノが置いてあるとの報告がなされています。
同1996年にはECPATは発展的解消を遂げ、ECPAT(End Child Prostitution , Child Pornography And Trafficking in Children for Sexual Purposes)【児童買春、児童ポルノ、性的目的のための児童の人身売買を禁止する運動】へと改組*2されます。
1999年にはECPAT/ストップ子ども買春の会や日本ユニセフ協会の要望書が提出され、日本において児童ポルノ禁止法が成立しました。
2001年の「第2回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」(横浜会議)ではじめて漫画が児童ポルノ禁止法の議論に登ってきました。このときは宮台真司氏、東浩紀氏、藤本由香里氏などの奮闘により宣言文に漫画を含めることは阻止できました。ただし、テーマ別報告書では漫画を児童ポルノの対象外とすることに理解を示しつつ、児童性愛関連の市場の一つとして道義的批難の対象としています。
2004年の児童ポルノ改正を迎えた翌2005年3月、ECPAT/ストップ子ども買春の会がECPATのエセル・クエール博士を日本に招聘します。秋葉原を「案内」されたエセル・クエール博士は同年6月ECPATで日本の漫画を違法化するように提言します。
2006年から動きは活発化します。日本国内においては警察に影響力を持つ前田雅英教授・竹花豊氏を委員とする「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」が発足し、ECPAT/ストップ子ども買春の会代表の宮本潤子氏が運営委員を務めるインターネット・ホットラインセンターが運用開始されます。同センターはガイドライン対象外であるため本来収集対象外である「まんが子どもポルノ」を「これに関する国際的な活動を行っているNGO=ECPAT」に情報提供を行うという行為に手を染めました。情報提供を受けたECPATはこの年(おそらく)はじめてコンピューターグラフィックスではない擬似ポルノ画像(simulated child pornography images)を児童ポルノの定義に含めるべきであると主張します。
2007年には性的搾取・虐待から子どもの保護に関する欧州評議会条約が批准されます。おそらく初めて単純所持、非実在児童(simulated representations or realistic images of a non-existent child)のポルノを違法化*3した国際条約です。そのため、ECPAT/ストップ子ども買春の会や日本ユニセフ協会は日本もこの条約を批准するよう執拗に要求しています。
2008年3月にはECPAT/ストップ子ども買春の会や日本ユニセフ協会による「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンが開始されます。これは同年11月の第3回児童の性的搾取に反対する世界会議(ブラジル会議)を念頭に置いたものでした。この会議でECPATが提出した資料では日本を名指しで非難し、非実在児童(non-existent child)を対象に含めるよう述べています。また、日本国外務大臣政務官より漫画、アニメ、ゲームについて規制をにおわす声明が出されています。
2009年には付帯決議にマンガ・アニメの調査報告を盛りこんだ*4児童ポルノ禁止法改正案が再提出されますが、民主党への政権交代の余波でうやむやのうちに棚上げにされました。
そして2010年3月。児童ポルノのまん延抑止と非実在青少年の性的描写規制を訴える東京都青少年健全育成条例改正案が提出されます。同条例案は3月では継続審議、同6月の否決されますが、同11月にまん延抑止を削除し非実在犯罪規定へと切り替えた新改正案が可決され、現在へと至ります。本条例では警察庁から出向している東京都青少年治安対策本部が牽引役を果たしました。
まとめ
これまでの話をまとめます。
- 国際的な児童ポルノ禁止の動きはECPATを中心として発展してきたこと
- 日本国内の児童ポルノ禁止の動きは外圧を利用して*5ECPAT/ストップ子ども買春の会と日本ユニセフ協会が推進してきたこと
- 2006年以降の日本国内においては警察の動きも活発化していること*6。
つまり、児童ポルノの”デファクト・スタンダード”は元をたどれば日本国内のECPAT/ストップ子ども買春の会からの要求によるものである、ということです。マネーロンダリングならぬステートロンダリングと言いましょうか、日本国内の対立が日本と国際社会の対立にすり替えられ、警察がその上に乗っているという図式です。だからと言って、ECPATの擬似児童ポルノの議論すべてがECPAT/ストップ子ども買春の会に影響されているとは言いません。
ただ、ECPATはインターネットの影響力を過大に捉えている節があります。児童ポルノが無限にコピーされてインターネットに永遠に流通していくかのようなイメージで語られていますが、実際にどの程度コピーが繰り返され、どの程度の人間に行き渡るのかといった調査/説明はありません*7。擬似児童ポルノを担当しているMax TaylorとEthel Quayleがもともとテロリズムの研究をしていたことにも注意すべきです。アメリカ愛国者法に顕著なように、テロリズムに対抗する法は市民の自由を広汎に制限します。
*2:この前後でECPATがオフィスを移転する際、ECPAT/ストップ子ども買春の会のロビイングにより日本政府が助成金を出しています。 http://bit.ly/cxnYPJ P22
*4:法律のお約束として付帯決議で調査報告を盛りこまれた内容は次の改正で法令に格上げされるそうです。
*6:なお、警察とECPAT/ストップ子ども買春の会ホットラインセンターなど密接な関係にあります
*7:児童ポルノの巨大市場というものが語られていましたが、ドイツ企業の調査によるとそのようなものはない