ef -a fairy tale of the two. 〜第一章〜


エロゲ、その中でも泣きゲーと呼ばれるジャンルの基本的構造は単純です。まず、欠落を抱えているヒロインがいます。第一段階―共通シナリオ―で描かれる日常生活の中でヒロインと仲良くなり、お話程度のコミュニケーションができるようになります。ほのぼのとした雰囲気がヒロインと主人公を距離を少しずつ埋めてくれるのです。第二段階―個別シナリオ―ではヒロインが抱えている欠落が明かされます。定番ものでは、子供の頃ヒロインが抱いていた主人公に対する淡い恋心、不治の病、主人公とヒロインとの間の記憶などが挙げられます。


ここでポイントは、エロゲの主人公には特技が設定されていないことです。少年漫画じゃあるまいし、主人公が突如何かに目覚めてヒロインの欠落を補っても感動は生まれません。とはいっても、本当に何の力もないと解決できません。一種の超常現象や幼なじみなどの個人に属さない属性が利用されることになります。狭い概念の「個人」と「個人」との間でヒロインの欠落が埋められるところに感動が発生するのです。


翻ってef -a fairy tale of the two.の第一章ではどうでしょう。ヒロインには幼少期に両親が冷え切った関係であったため、自分の居場所を持ち得ていないという欠落が設定されています。ありがちです。更には、ヒロインと主人公が結ばれるというエロゲの主目的が達成すると自動的に解決されてしまうために、物語の幅を拡げることは難しい設定でもあります。


だからでしょう、自分の居場所がないという欠落の裏返しである、気ままで自由という面の顔でプレイヤーを魅了する手法を取っています。ヒロインの欠落を解決する描写はわざとでしょう、描いていません。おそらく、これで正解です。


だとすると、欠落を埋めるという作法を欠いた第一章はつまらないのでしょうか。そうだと答えることもできますが、まだ断を下すには早すぎるようです。なぜなら、efは群像劇のスタイルで描くとminoriが宣言しているからです。


群像劇というとなんとなく青臭くて物語の基本中の基本のようにも思えますが、エロゲで群像劇を描くことは難しいと言えましょう。なぜなら、エロゲはヒロインの欠落を埋めることで泣きを発生させますが、その欠落は通常、プレイヤーから手の届かない過去に発生しているからです。群像劇という人と人との関わりを描こうとしているのに、根本原因が過去に存在するというのは設定に難があります。


ならば物語中で欠落を生み出す、というのが解決策の一つです。実際、第一章は第二章のヒロインの悲恋=欠落を生む物語となっています。エロゲのシナリオとしてはヒロインの欠落が浅いという問題を持っていますが、作品の一部としてみれば未知数です。


というわけで、期待して第二部へ突入するのだ。


※一般的に欠落はヒロインが抱えているものだが、名作と言われる作品には主人公が欠落を抱えていることがある。Key作品、型月作品、CROSS†CHANNELなど。ヒロインの欠落を組み合わせて相互作用を起こすのが強い、のか?