(試案)フェミニズム論を踏まえた反論

さて、それではたとえばPAPSが主張するように、たとえばレイプレイのようなゲームは「女性や子どもに屈辱を与えることを目的としている」のでしょうか。あぁ、確かに直接的なゲームの目的は女性や子どもに屈辱を与えることかもしれません。しかし、それは現実の女性や子どもに屈辱を与えることをを目的としているのでしょうか。ポルノグラフィが完璧な美の模範を示すことで女性が(半ば、心理的に、)強制的に理想の女性像に従わなければと思わせるような効力を持っているのでしょうか。男性に性的に奉仕する女性像を指し示すことで女性自身が快楽を得ることを否定する効力を持っているのでしょうか。

前者については否定できます。日本においてマンガ・アニメ趣味はカーストの低いものとされてきた歴史があります(最近は改善される傾向にありますが)。マンガ・アニメ趣味のなかで示される女性像が理想の女性像であると、女性に思わせる効力は認められません。
後者については難しいものがあります。男性に性的に奉仕する事が幸せであるとする描写は特に性暴力を描写する作品で広汎に見られます。しかし、前者と同様の理由で女性の性は男性に性的に奉仕する事で得られると思わせる効力は低いでしょう。また、同様の描写はある種のフェミニズムの文脈で実写ポルノグラフィーの害悪として広く語られてきたものであり、殊更にアニメ・マンガのみに限定して語ることには違和感を感じます。

そもそもアニメやマンガに描かれる女性や子どもに屈辱を与える描写は現実世界の理想として描かれているのでしょうか。架空の世界においての理想としては描かれているかもしれません。しかし、あくまで架空の世界においての話です。ある架空世界は現実世界ととてもよく似たものとして描かれているかもしれません。それでも読者は架空の世界であると認識していることから、現実世界の理想であると読み解きはしないでしょう。