サマーウォーズ その2

―現在の、ひょっとしたら問題大ありかもしれない日本の家族というものを、なかなか肯定する気になれないような世の中で、どうエンターテイメントとして肯定するか。―

サマーウォーズ公式ガイドブック P131 細田守監督のインタビューより


上図は、サマーウォーズの舞台である陣内家(の屋敷)を航空から描いている。山の上に居を構え、周りには田畑が広がり、遠くには街の姿が見える。この図を見る限り、陣内家が近所づきあいをしている家があるようには見えない。サマーウォーズが描く共同体は一つの家族=陣内家と同一であり、下町における近所づきあいを描くNHKの朝の連続テレビ小説が見せる共同体とは異なっている。

監督はインタビューにあるように家族をエンターテイメント的に肯定的に見せようとしており、確かにサマーウォーズは「楽しい」映画だったが、どこか喉の奥に骨が刺さったような感覚が残る。それは陣内家がどうにも権威的、法を無視する傾向があることから来ている。

まずはAパート。陣内家の長である栄により健二が夏希の婿として承認されることにより初めて、主人公の人格が自立する点。BパートではOZによる混乱を、栄が昔のつて=権力を動かすことにより解決している点。細かいことだが、健二という他人の戸籍情報を家族のためと称して公務員が不法に入手するシーンも存在する。Cパートでは、おばあちゃんの敵討ちのためにと、それぞれの立場を利用して不正にスパコン自衛隊軍用車両が借用されている。そしてDパート。同じアバターを吸収した姿でありながら、群体として描かれているラブマシーンに対して、巨大化した夏希アバターはただ陣内家の代表としての一人として描かれている(*)。栄の死去により、一家の長の地位が「最年長の長女」に移行される点。そして、OZの守り主により与えられたレアアイテムでラストバトルに勝利する点(権力者により都合のよい条件を与えられる、オリックスの宮内のようだ)。

権力者を私的に利用して自身の目的を果たそうとする陣内家の姿がそこにはある。

もう一つ、この作品で気になったのは、陣内家以外の人間が活躍しないことだ(主人公の友人は唯一の例外)。世界の基盤システムがクラッキングされた状態でありながら、まるで陣内家だけがラブマシーン退治に動いているかのような物語構成だ。陣内家と世界との縮図として展開される高校野球のシーンも、陣内家だけで世界が回っているかのような錯覚に陥らせる。ラストバトルでの74から75に数字が動く場面は感動のシーンの一つではあるが、陣内家以外の人間の動きが作品内で全く認められないため、安易に自らの運命を他人にゆだねているように見えて仕方なかった。


「家」に承認されなければ自己を確立することができず、「家」に所属できなければ活躍できない世界。個が「家」に従属することを強いられる社会がサマーウォーズだ。エンターテイメントとしては肯定できるが、日本の家族を肯定できる作品かと言われれば否と言えるだろう。


(*)ラブマシーンは自身の敵としてキング・カズマ、栄(=陣内家の家紋アバター)、夏希という個人を見ているが、陣内家側は「家」として立ち向かっている。