シン・エヴァンゲリオン感想

砂浜に横たわる二つの体。決して触れ合わない二つの手。  
「――気持ち悪い」  
劇終

当時高校生だった私は友人に紹介されたエヴァTV版に魅了され、深夜放送を録画したビデオテープを繰り返し鑑賞していた。あろうことか第四話でロボットに乗ることから逃げ出すパイロット事主人公碇シンジ。友情で乗り越えたと思いきや、彼には電車内で繰り広げられる自傷的な精神世界、友人となったパイロット達との離別が待っていた。最後の心のよりどころになった渚カヲルさえ自ら殺した彼の運命は――だが、製作スケジュール都合で曖昧なエンディングを迎えた。

そんなエヴァが劇場に帰ってきた。シト新生 - Death and Rebirth -。TV版を再編集した映像はアスカの加持さんへの思慕を語るシーンが追加され、零号機の自爆シーンは全く新しく書き換えられた。そして後半。「死は、君たちに与えよう」ネルフ本部を急襲する戦略自衛隊。復活するアスカを倒すべく投入された量産型エヴァが上空を舞う。画面暗転。主題歌『魂のルフラン』が流れ始める。え、終わり? 聞いてねええええええ!(当時SNSはなかったし、インターネットは固定課金になる23時以降にやるものだったのです)

その半年後。高校三年生といえば受験シーズン真っ盛り。そんなことは知ったことではなく初日(だったと思う)に劇場に足を運んだ私を待っていたのが、冒頭の三行である。愕然とした。ミサトさんは「大人のキスよ。帰ってきたら続きをしましょう」と訳の分からないことを言って死に、綾波レイは巨大化して最後には顔が割れて一瞬制服姿が見えたようにも見えたが訳が分からないし、一人で取り残されたシンジくん幼児バージョンが踏み潰した砂山はジオフロントだし、一度融合した人類は地上に戻ってきたはずなのにそのようには見えないし、最後の人類(?)たるシンジとアスカの関係は壊れてしまっている。何だこれは。「おめでとう」「おめでとう」「すべての人類に、ありがとう」はどこに行ったんだ? 夢も希望もないではないか。

庵野秀明監督は何がしたかったんだ。後になってアニメなんて見るの辞めちまえという意味だという説を聞いたが、少なくとも私には効果がなかった。現実に絶望したときはKom,su:sser Tod-甘き死よ、来たれ-を口ずさむ人間になった。I know, I've let you down。劇場版はこの重さがいいよね!と思っていた。

それから10年。なんとなくアニメを見続けていた私にエヴァが再始動するというニュースが届いた。新劇場版:序。まるで旧劇場版の紅い海から繋がったかのような世界。リデザインされたサキエルシャムシエルラミエルを相手とする活劇に心躍った。新劇場版:破。ほぼ旧作そのままの流れだった序と異なり、見たことのない使徒、見たことのないキャラクター、トウジの代わりに三号機に乗り前倒しで精神汚染を受けるアスカ、まさかレイを捕食するゼルエル、はやくもサードインパクトを起こすシンジ。まさしくタイトル通りの掟破りの作品だった。

カヲル君にサードインパクトを強制停止させられたシンジとレイの運命は如何に――そう皆が期待していたであろうQには困惑させられた人も多いだろう。前作から14年後の世界。 ヴィレという組織を作りネルフに対抗しているミサトは、かつて「行きなさいシンジ君」と背中を押したにもかかわらずシンジに冷たい。救ったはずのレイはどこにもいない。アスカには殴られる(これは順当)。仲良くなったとカヲル君は槍が違うと言い出して破裂してフォースインパクトが起こってアスカに引きずられて終わる。訳が分からない。破の次回予告はどこへ?

正直なところ、シン・エヴァンゲリオンにはそれほど期待していなかった。ネタバレ怖いから初日に見ておこう、くらいのつもりでいた。ところが、である。シン・エヴァンゲリオンを見た私は救われたと感じた。「よい――これでよいのだ――」とキール議長ばりにバチャン(LCL化)しそうになった。何故か。冒頭の三行の舞台となった赤い海と白い砂浜を背景にシンジとアスカが手をつないで和解したからだ。絶望の旧劇場版――そう、いま私は虚勢を張ることなく、24年前の私は傷ついていたのだと述懐できるようになれたのだ。

他にも旧劇場版を想起させるシーンは多い。ゲベートに侵入されるヴンダーは戦自に攻められるネルフ本部を連想させる。二号機は酷い目にあって頭部が捨てられる運命にある(これが愛?)。エヴァンゲリオンイマジナリーと呼称されるどう見ても旧劇場版リリス(と綾波)による補完は旧劇場版そのままだ。綾波の顔がリアルになっているのはアニメ調だとPTSDを発症する中年組への労りだろう。

Qで冷たかったミサトたち旧ネルフクルーの心情――シンジが二アサードを引き起こさなければリリス接触した使徒に人類は滅ぼされていた。シンジの背中を押したことは自身の罪として背負ってゆく――も明かされ、Qに感じていた不満が解消されたこともよかった。

ところどころで笑いどころが配置されてもいた。巨大綾波が出現するシーンでは「ありえないでしょ」とツッコミが入り(旧劇場版ではマヤが悲鳴を上げて緊張感を煽っていた場面だ)、13号機と同一化したゲンドウはビルに片膝を乗せてイキっている。ビルが横滑りし、ミサトの部屋や教室で戦う特撮シーンはシンジVSゲンドウという緊迫感漂うはずのシーンを良い意味で弛緩させている。圧で言えば旧劇場版が圧倒的に上で映画としては優れていると思うが、圧が高すぎて疲れるし辛いのである。エンターテイメントはこれでいいのだ。

まあ、最後のシンジさんは格好良すぎて俺のシンジ君はどこに行ったんだと思います。(苦笑)その前のアスカが怒っていた理由を「アスカを救いも、殺しもしなかったからだ」と回答するシンジも大概怖いですね。前者は分かります。後者はどういうことですか。愛するアスカが苦しむくらいならいっそトドメを刺してやろうということですか。「アンタが全部私のものにならないなら、アンタなんていらない」とのたまうアスカ(それは惣流の方だ)ばりに突き抜けてます。

アスカと言えば、着ぐるみケンスケが出て来たときに、無造作に裸のアスカにタオルをかけるケンスケ、ケンスケ宅でひたすらゲームをやるアスカが脳裏に浮かんで(アスカは気に入った人の家に上がり込んでゲームをする女である)ようやく二人の関係を了解したのでした。なので私はシンジより人の機微に疎いし、膝抱えて傷ついてますムーブしているんじゃないぞというアスカの箴言に傷つくのであります。やめてゲンドウくんを補完しないで!いろいろと身につまされる!

そして最後にすべてをかっさらったマリ。8+9+10+11+12号機でマイナス宇宙に行ける理由や、冬月教室の記憶を持っていると思われる点、若返っている点(波シリーズはクローンなので巻波もとい真希波もそうなのだろう)は劇中で説明されませんでした。「彼女とは、遙か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ、我々にとってはね」ということですね。

後半のシンジくん精神的にタフすぎ、雑魚敵シューティングゲーム楽しくないし画面見づらいし(Blu-rayで潰れたりしませんか?)最終的にエッフェル塔やATフィールドでぶっ飛ばすなら長距離攻撃不要では??などの不満点がないわけではありませんが、旧劇場版に囚われていた人間を救ってくれたシン・エヴァンゲリオンには感謝しています。庵野監督、ありがとうございました。