公共の福祉

都産貿問題や「nice boat」問題、こどものじかん放送中止問題など、これらは”表現の自由”の問題として語られているけれども、軸となっているのは”公益”と”公共の福祉”のどちらを取るかという問題だと思う。
公益という言葉の定義は、ここでは「自民党が唱える反動思想」のことだ。例えばジェンダーフリーバッシングであり、例えば「最近の若者は自由をはき違えている」式の言動のことだ。
公益に傾けば、「こどもの時間、規制はいりまくりじゃん。これならTVで放送する必要ないじゃん。最近バッシング気味の風潮があるから引っ込めよーぜ」と表現規制を助長する立場となり、公共の福祉に傾けば「なるほど知らない人から見れば有害と思われるかもしれないが、風営法児童ポルノ法もクリアしているのだし、文句を言われる筋合いはない」と表現規制に反対する立場となる。
俺はというと、心情として公益に傾きがちな自分を理論で説き伏せて公共の福祉に傾けている。