万引き家族

偽物ではない、さりとて本物ではない。そんな「家族」を支えていたのは老人の幻想だった。

夫に捨てられ、訪れる者といえば地上げを迫る半グレだけの独居老人。彼女が望んだ、息子夫婦と孫に見守られる生活。砂浜で仲良く遊ぶ「家族」に満足したようになくなった彼女は、劇中で「娘」が語るように幸せだったのかもしれない。だが、それもまた幻想だ。「家族」に紛れ込んだ血を分けない実の孫をことのほか可愛がるが、JKビジネスで金を稼ぐことを制止することはない。自分を捨てた夫が新しく作った家族に対する憎悪が垣間見える。実の孫であると認識しては「姉」を甘やかすことはできなかったのだろう。

そして、「家族」を破壊したのは老人の理想だった。

古びた駄菓子屋の店主は、少年が「家族」のために行う万引きをあえて見逃していた。だが、「妹」に万引きを行わせた少年には「妹に万引きをさせるんじゃない」と釘を刺す。もしかすると店主には戦後の混乱のなかで万引きを繰り返した過去があったのかもしれないし、幼い妹がいたのかもしれない。そう考えるとなんとなく火垂るの墓の清太を思い起こさせる。

「兄は妹を守るもの」という理想に付属する「万引きはいけないこと」という概念が少年の心を揺り動かす。思春期に入ったばかりの少年にとって、わざと万引きで捕まることは「父親」に対する反抗期のよくある一場面だったのかもしれない。だが、「祖母」がいなくなったあとの「家族」はそれだけであっけなく崩壊した。

壊れてしまった「家族」。それでも「父親」と「母親」は寄り添い暮らしていくだろう。「罪を一人でかぶる」という形ではあっても、他人のことを考えて行動できたのだから。ゆくゆくは本当の、本当とはどういったものであるのかが本作のテーマではあるのだが、本当の家族を持つことができるかもしれない。「兄」は独り立ちし、「姉」はおそらくは一人暮らしを始め、虐待されている自身を認識した「妹」は再び家の外に幸せを見つけようとする。

それにしても、「妹」の実の家族による虐待が見過ごされたのは何故だろうか。供述のなかで「母親」が告白していてもおかしくない。児童保護施設に入ることになった場合「兄」と境遇が似た形になるからと避けられたのだろうか。「洋服を買ってあげるからこちらに来なさい」を拒否していたが、母親は逆上して傷害を負わせるのではないだろうか。塀の外から再び救いの手が差し伸べられることを祈ってやまない。

「父親」が少年の親というより友人に近い精神構造というパンフレットの指摘には気づかなかった。これだから俺ァ……。