エロマンガは政治的に正しいか エロマンガと政治/健全なアンダーグラウンド

エロマンガと政治にかかわるところだけ



東:男の娘はレイプされている側に感情移入していることを表している
永山:妄想の中で主客が転倒することがある。規制する側はそのへん分かってない。エロマンガへの批判は紋切型が多い。人間なめてんのか。
東:セックスワーカーの権利を認めましょうetcなど、健全なアンダーグラウンド、エロの健全化が起きている
永山:LOの文句、あれで世間に通るのかお前らと思う。誰も傷つかないエロ/表現とかない。

東:村上春樹が北海道のとある町を実名ではたばこポイ捨てする人が多いと書いたらその町から抗議が届いて文庫版では架空の町名になった。村上春樹という権威がヘタレたことは大きい。
永山:エロマンガ規制については話し合うしかない。これこれこういうことをやめましょうと言うのは自由だが、やみくもに立法化することには待てよと

東:イオネスコの娘が性的搾取されていたことを訴えて映画『ヴィオレッタ』を撮影した。
永山:少女ヌードに限らず被写体の人権が難しい。自己責任はいつから認められるのか、後に虐待に気づくこともあり、親子の葛藤の中で記憶がねつ造される場合もある。映画の中でとても美しい子に自分を演じさせる、それは再生産ではないのか。性的な視線にさらされるという点では同じだ。

東:上野千鶴子の弟子が障害者の性を完全にクリーン化するホワイトハンズをやっているように、これからの時代に残るということは法的に残ることができる、クリーンなものになるのか
永山:エロマンガは既に成年マークというゲットーの中に閉じ込められることでクリーン化している。
久田:グレーなものとして、コンビニが自主規制している”成年向け雑誌”「五番棚」は
永山:コンビニチェーンの団体関係者はアダルトは扱わない方向で持って行こうとしている。個々の店舗の経営者としては全くなくなっては困るが、25%のコンビニがもうアダルトを扱っていない

東:男女関係なく自己投影できないとまどマギ流行らないじゃないですか。本人の属性と切れている。ゆるゆりも、女子だけの世界をのぞき見る行為で日常系は本質的にポルノっぽい。裸がなくてもポルノになる。
永山:性なきポルノグラフィ。いいんじゃないですか別に。政治的に正しくされつつある。
東:正しくないものはどう残すのか
永山:同人とか。商業では苦しくなる。俺は運動してるわけじゃないので俺は言いたいことを言い続けるようと思っている。運動を指導するとか組織するとかはしない。運動する人は支援するが、あくまで批評家・評論家として言論活動をする。

東:SM雑誌ビザールのジョン・ウィリーがアート化して記念切手になったじゃないですか
永山:本人自身が変態で、ベティ・ページは裏のモンローと呼ばれたセックス・シンボルだった。記念切手になったことは素晴らしいと同時に、ジョン・ウイリーの後継者を切り捨てることになるのでは
東:変態、倒錯とまで行かない中間形態がなくなる。エロゲーというひどい世界があったからこそ今の萌えがあるが、言論人もそこが分からなくなってきている。
永山:クリーン化したほうが売れると思っている人いるよね。
東:かつて知識人は境界のグレーゾーンに惹かれることを前提としていたのに今はクリーンなものは支援していきましょう、と。薬物だめ!みたいな。
永山:坂口安吾ってヒロポンやってたじゃない。

東:斉藤環さんが松文館裁判で二次元と三次元は違うと言い切ったの、漫画の力を認めてないじゃん、嘘じゃん。
永山:嘘だけど、嘘をつかないと生き残れない。ポルノに限らず作家としてのあり方。俺は有害指定や175条をくらった人は勲章だと思っている。
東:エロとポルノは本音と建前を使い分けない場じゃん。
永山:あるべき姿というか、そうするしかないっしょ。商業マンガ、ひいては表現が金になること自体偽善だよ。