戦塵外史外伝 負け戦のジョナン(2)


根幹が揺らぐ帝国は、なおも百年の命を残していた。帝国初期に完成した官僚制の優秀さゆえだろう。帝国の崩壊には一人の暗君の登場を必要とした。第十六代皇帝、エストアその人である。



史書には齢六つで即位した彼が初めて下した命令が残っている。曰く、国中で一番の料理人を決めよ、である。斜陽の帝国の長が発するものとして相応しいとは思われぬが、年を思えば微笑ましい。この時点では、彼は羽化を待つさなぎのようなものだった。学識豊かな先達に教えを請い、忠誠心に溢れる近侍を持てば、あるいは蝶となれたかもしれぬ。だが結局のところ、彼は毒の鱗粉ふんぷんたる蛾へと成長した。



ところで、彼が幼少にして即位したことには理由がある。第十五代皇帝に子がいなかったこと、第十四代皇帝の孫であること、この二つだ。もっとも、後者は疑わしい。第十五代皇帝の病が篤くなり、次の皇帝を誰にするかの議論が始まったときになってはじめて、彼は歴史の舞台に登場するからだ。彼を連れてきた時の宰相以外には、朝廷で彼を知るものは一人もおらず、名前を聞いたことすらないというありさまだった。とある高官の日記には「どこぞの寒村から連れてこられた田舎者」と悪し様に書かれている。事実としてもそんなところであろう。