どうなってんだ日本は!?今、愛国を考える


どうなってんだ日本は!?今、愛国を考える』のメモ。録音もしてないし、汚いメモを元に起こしているので、内容が不正確であることをご理解ください。

週刊金曜日(以下、週金)との関係


(鈴木)既成メディアに対して週刊誌を作ろうという動きは昔からあり、『東京オブザーバ』などがありましたが、中でも一番盛り上がっていたのが週金でした。刊行当時の雰囲気は凄かった。本屋に置かないという方針で六万人も集まったし、刊行記念の集会は関東近辺ではどこも満員で京都まで行ってようやく参加できました。


初代編集長のわたらさんに声をかけられて、第十五号「右翼特集」に記事を書かせてもらった。右翼の人が十数人……十人書いていて、最後が私の「僕が右翼になった理由」。わたらさんとの対談集、晩声社『私が右翼になったわけ 私が左翼になったわけ』に書いていますが、今から18年前に赤報隊事件があった。本来は朝日新聞の社長か本多勝一を狙っていたけど警備が厳しかったので支局を狙ったもの。後になって本多さんに招かれることになりましたが、会ってみたら知らない人だった。僕だって右翼なのに素顔をさらしていいのかなと。彼は自分の方がナショナリストだという話をしてましたね。お返しに右翼の集会に本多さんを誘おうとしたけど、守りきる自信がなかったのでできなかった。


大江健三郎さんに『セブンティーン第二部 政治少年死す』という絶版があり、是非とも再販すべきだ、なんなら僕が推薦文を出すぞと。大江健三郎の本だからと反対する右翼もいましたが、復刊することで実際は山口しょうていを知らせることができると言ったんですけれども。そういえば、筒井康隆の断筆宣言についても週金に記事を書きましたね。

・週金の編集


(鈴木)今年、噂の真実の岡留さんとトークをやりましたが、北村さんの話が一番面白かった。「週金にタブーはあるんですか」という私の質問に、北村さんは「読者です」と答えてましたね。


(北村)排他主義的な左翼では勝てませんから。


(鈴木)今までの運動は少ない戦力で権力と戦おうとしていた。まとまって、みんなで同じことをやれば力になるはずだと。一番良い例は共産党です。丸の位置、点の位置まで同じですね(笑) 今は逆で、帰ってぶきみな勢力(とみられるよう)になっている。


(北村)読者がタブーという意味では、これまで小沢さん、亀井さんを取材してきましたが、仮にも週金が、と言ってくる読者が必ずいる。相手がどういうことを考えているのか知ることも大事ですよという手紙を出せば90%は分かってもらえます。残り1割が購読をやめるのは仕方がない。週金は論文だけ書いてください、という人もいるけど、それだけじゃ勝てない。


鈴木さんはウィング拡げすぎじゃないかな。鶴岡で加藤紘一さんの実家が放火された事件に対する加藤さんや週金主催の反対の集会に参加してましたけど、大丈夫なの? 襲われたらどうするんですか。


(鈴木)そのときはしょうがないですね。もしくは佐高さん突き飛ばして盾にするとか(笑)


佐高さんが言っていたけど、加藤紘一さんの紘は八紘一宇から一字を取っている。その紘一さんを右翼が襲うのはないでしょう。


集会のときは500人くらい集まっていて、周りは右翼が取り囲んで、警察もピリピリしていた。あそこで僕が普通に入ろうとしたら止められてました。パネラーだから入れてもらえた。週金にはお世話になってます。次の目標は編集委員、ゆくゆくは編集長ですね(笑)

・右翼について


暴力を否定すると、こういうとよくないのかもしれませんが、男らしくないという思いが右翼にある。俺たちは日本の原液だ、何かあったら国家のために死ぬ、国賊を殺して俺も死ぬ。男気の世界ですね。


本来、組織というのは暴力、肉体言語を使うまでに追いつめられた人を守ることが責務。自分たちは少ない戦力だから、肩を寄せ合って生きていかないといけないだと。加藤さんの事件も容疑者は60過ぎた老人だし、刑務所から出てきたときには80歳。そういう意味では同情する。でも暴力を支持しちゃったらそれで終わっちゃう。かつて長崎市長が襲撃された事件でも、右翼はテロを支持すると言った。これでは話し合いもできなくなってしまう。言論の訓練をする場所がない。でも、かっこいいですよね。ネット右翼の世界と同じ。ひ弱と言われても言論は言葉でやらないと、右の頬を叩かれたら左の頬を差し出すくらいの精神でないと政治活動はできない。


(北村)右翼といえばテロ、という感覚がありますね。国家のため、人民のため、そのためには必要だ。5・15とかも右翼の人は正しかったという。


(鈴木)結盟団事件、5・15事件……に対する郷愁があるのが右翼。評価すべき部分もあると思うけど、言論を吐き出す場がなかったというそのころの事情や、言論の自由があるという現在の状況を考えない人が多い。言論の場を作る努力をしないと政治運動はできないんです。全共闘と戦い、全共闘から学んで、言論で戦うようになったのが新右翼です。


レコンキスタ』をもう30年くらいやってますけど、『諸君』『正論』の方が過激ですね。そうなると売れない。若者たちで言えば、一水会の若者たちは私より右です。


(北村)どうして右に行くのかというと、若い人たちのいる場所がない。見捨てられた彼らがどこに行くかといえば、国家に直接結びついてしまう。国と自分の関係だけがある。


(鈴木)ネット左翼は少ないですよね。難しいんですよ、左翼は。いろいろ勉強しないといけないし、共産主義を学ぶには『資本論』読まないといけませんし。右翼は「俺は右翼だ」でなれる。簡単なんですよ。それがいけない。だからといって、テストして資格を与えるわけにはいきません。

・元気のいい方へ流れてゆく


(北村)一つの運動体としては動いていない。権力を持っている人がその気になったとき、一つの情念として流れていくのではないでしょうか。


(鈴木)右傾化現象を誰か一人が仕掛けているのではない。同時多発的なもの。政治家は政治家として、TVはTVとしてタレントと一緒に、元気がいいのがもてはやされる。雑誌も一人一人が信念を持ってやっているのではなく、売れるからやっている。ちょっと待てよ、なんてもの誰も買わないです。売れるからスカッとするから。俺もやってみたいとは思うけど(笑)


みんな元気のいいものだけ見たい。歴史=ビタミン剤です。『ワシズム』小林よしのりさんに質問したら小林さんも認めていました。おじいちゃんを守れ、という(『戦争論』)のは売れるけど『沖縄論』は売れない。教授は左翼的なことを言うと発言力がなくなるからと、公安は自由より安全は大事だからと、みんな自分勝手に自分のことだけ考えている。


左翼の人たちも情けない。核についても左翼が馬鹿だったということがあります。事実認定で足をすくわれまくってます。週金でもどこでもいいから、週金的愛国主義とか出して論破しないといけない。


(北村)私は70年代に大学に入りました。全共闘世代の下ですね。セクトについては多くは語りませんが。あの時代は朝日ジャーナルを持ってキャンパスを回るという運動があった。それがファッションだった。今そんなことする人いないですよね、『正論』とか持って歩くのが当たり前。左翼がだらしなかったというのは確かだ。国家とは何か、とか考えてこなかった。左翼運動がファッションだけで来ちゃって、ぽろっと右になっちゃった。それだけじゃないけど。新右翼からも鈴木さんはズレてきてないですか?


(鈴木)40年前と今の人は同じことを言ってます。パール判事の日本無罪論とか、愛国心が必要だとか、ABCDラインが……自衛戦争だとか。40年前は誰も聞いてくれなかったのに今はワッと……。いいこともあるけれど、ムードだけです。40年前は覚悟を持って言ってましたよね。ちょっと愛国心と言っただけで学内追放される時代だった。その時代の人たちに出会えて良かった。彼らは安全圏で言ってますもんね。集会で講演料何万もらえるかをステータスにしている奴が「今の社会は金、金、金ばかり言っている」と批判します。何か絶望しますね。


いわゆる右翼団体と指定されると何やっても警察が弾圧したり、僕も別件逮捕とかされましたけど。そんなんだったら「つくる会」とかもっと安全な市民運動がありますよね。ネット右翼になればやりたい放題。北朝鮮が核を持ったから日本も持て? 日本が核を持ったら北朝鮮を批判できなくなりますし、世界から批判されますよ。もてはやされるから言ってるんじゃないか。

愛国心


(北村)どちらが週金の編集長でしょうか(苦笑) 僕は逆に愛国心について考えていました。文藝春秋の『日本の論点』に対抗して週金版を「愛国」をテーマにつくる予定です。2007年は愛国は右翼の専売特許ではありません。


(鈴木)愛国心なんていらないんですよ。愛国心なんて小さなものにこだわってどうするんですか。現実を忘れて夢を追うことも必要ですよ。国益なんて言葉、一番卑しい言葉です。周りのことを考えないエゴイズムでしょ。かつては「アジア解放のため戦ったんだ」と言っていた。だったら日本が滅びても世界を良くするくらいでないと。だから愛国心なんかいらない。心の中で持っていればいい。せいぜい小声で言うくらいです。生きているうちから愛国者だなんてろくでもない。愛国心を禁止しよう。諡号(おくりな)みたいにすればいい。その場で愛国心で買った負けたなんて意味がない。売国奴、非国民でいいんですよ。僕の方が週金的じゃないですか。


(北村)安倍さんの『美しい国』、私も編集者として読まないといけないと思って買いました。安倍さん自信は愛国者だと言っている。じゃあ、安倍さんの言う愛国ってなんだろうと。パトリオティズムに対する愛着、日本民族に対する愛着、それらをひっくるめて愛国心と言っているようだ。けれども、それら一つ一つは違ったもので、僕は国会に対しては信頼するか、信頼しないかという尺度を持っている。郷土には愛着を持っている。こちらで理論づけないとやられちゃうんじゃないか。


(鈴木)「愛国心なんかいらない議員連盟」を作ればいいんですよ。参考人として僕も呼んで欲しいですね。三島由紀夫愛国心が嫌いでした。みんな共同体の一員なのに、右翼の人たちは俺こそ愛国者と思っています。右翼は西郷隆盛吉田松陰愛国者として挙げますが、その人たちに愛国心なんてない。愛国心は明治以降パトリオティズムの訳語として入ってきたものです。昔は藩に対する愛国心=郷土心でした。


西郷隆盛の言葉に敬天愛人というものがあります。これには二つの説があって、一つは西郷隆盛は聖書を読んでいたという説、実際に読んでいたそうです。もう一つは漢文の知識です。中国の愛国は日本の愛国(一人一人が国を愛する)と違い、権力者が国や人民を愛でることを指します。つまり、天と地があって、その真ん中に西郷がいる。愛国とは思い上がった概念、権力者の言葉なんです。


(北村)小泉さんや安倍さんが「日本を守らないといけない。あなたたちも家に鍵をつけるでしょう。家族が襲われたら反撃するでしょう」と言いますけど、それは情念の世界で国家対国家の世界ではない。安倍さんは政治的な関係を情念の世界に落としこもうとしている。それに対する対抗軸を作るにはどうすればいいのか。「愛国心はいらない!」という理屈はないでしょうか。


(鈴木)戸締まり論ですね。私は高校三年まで秋田や青森を転々としてきましたが、誰も鍵をかけていませんでした。大学になって東京に行ったら日中に鍵をかけている。それが不思議でした。みんな、信用できたら鍵はいらないんですよ。右翼の人はアベックで歩いているときに襲われたらどうする、と言っていましたけど、むしろ(右翼は)襲う側じゃないかと(笑)


なんといっても夢を持つべきです。九条は最終的な夢として立派だと思うし、にも関わらず右派的言説に巻き込まれて愛国心を持つのは当然だ、俺にも愛国心があります? 愛国心がないから非国民だと言えばいい。俺は、一人だ、孤独なんだ! 竹中労、私が好きな人がこう言ってます。「人間は無力だから群れるのではない。群れるから無力なんだ」

天皇


(北村)国家とくれば天皇制につながります。天皇制についてどう考えていますか。


(鈴木)いつかはなくなるかもしれないが、あって続いてもらいたい。長く続いてきたものだからなくなるのは寂しい。ポピュリズムが進んでいったとき、そういう風潮から離れて日本のことを心配している人がいてありがたいなと。僕たちが天皇制を要請していると思ってます。国民が守ってると思います。どこかいて欲しいと思っている。


2・26事件は「天皇の真情が伝わっていない、君側の奸を除かなければならない」という運動でしたが、それでは天皇に権力が集中してしまう。今後、天皇が権力を持つ時代はこないでしょう。にもかかわらず、権威や文化としての天皇は求められている。天皇は政治にタッチせず、文化・権威として続けばいい。皇室の人がやりたいことをやる。行きたいとこにいく。週刊誌が許せないのは「笑わない愛子さま」と言ってましたよね。オランダ行ったらキャッキャッと笑ってましたね。そういう冷たい雰囲気が日本にあるから笑えなくしてしまった。


天皇の跡継ぎをどうするのかも天皇家が決めればいい。今が一番失礼だ。皇室のことを言っている人ほど失礼だ。美智子皇后が婚約したときは「コノヤロウ」とか名前をそのまま「美智子が」とか「縮れ毛が」とか皇后に言っています。「日本は終わりだ」とか。俺は愛国者だ、ということは天皇否定に繋がります。この前のメモでも「自民党が言わせている」、訪中のときには「天皇訪中反対!」天皇否定じゃないですか。最悪なのは、自分の理想の天皇像と違うから許せんという人。そういう人たちは天皇制反対と言うべきです。天皇制賛成の人ほど不敬だ。僕は天皇家に対する敬意の気持ちはありますね。残酷なことをお願いしているという。右翼の偉い教授は「冗談じゃない、あんな不自由なところに娘をやれるか!」と言っていました。


(北村)天皇が利用されることもあるのでは


(鈴木)風流夢譚の頃、敗戦直後の頃と違って天皇を国外追放にしようなんて、徹底している人はいないでしょう。民営化を主張してる人がいましたけど、終戦直後に一般人になった皇族は宗教やらにメチャメチャ利用されてたじゃないですか。皇室の方にはもうちょっと我慢して欲しい。昭和天皇は政治的に利用されると思ったから好きなこと言えなかったでしょうね。でもそういうことによって、そういう時代があったことによって政治的に利用されるかもしれません。ならば、政治的じゃないから好き勝手言っていい、とすればいい。今は愛子さまが朝青龍が好き、ということが報道されている。公言することで政治的なものから逆に切り離せるのではないか。儀礼的であることをはっきりと出せる。昭和天皇は相撲が好きだと言うことはできても、特定の力士を挙げることはできませんでした。


(北村)明治、特に伊藤博文天皇を絶対的権威者にすることによって反乱を防ぎました。その後、伊藤の政治的思惑から外れて国民からすれば「神」となり、天皇を利用する人間が出てきて戦争になった。敗戦時に天皇は利用された面があるとはいえ、道義的に退位すべきだったと思います。


(鈴木)そういう発言はしています。しかし、退位すると戦前戦後の連続性がなくなると心配した側近が押しとどめました。A級戦犯天皇の身代わりとなって死にました。それは彼らの偉いところであり、靖国に祭られるとは思わなかっただろう。イタコを呼んで聞いてみればいい(笑) 天皇は自分の身はどうなってもいいと思っていたんじゃないか。天皇制反対の人は天皇絶対権力を希望していたのではないか。アメリカとの戦争や三国同盟にも反対だったし。民主主義だったから戦争が起きた。天皇制のプラスもあるし、逆に決断できなかったということもある。天皇のためといいながら戦争の道具として使われた。


(北村)天皇の戦争責任となると難しいですよね。当初は厭戦的、後半は天皇制の維持に心を砕いている。いずれにしても人々は「神」を守るということで死んだ、そういうふうに利用されたことは事実。


天皇家となるとメディアが煽りますよね。紀子さんが赤子を生んだときもNHKのラジオは「お生まれになった」と15分で二十回も繰り返して凄かった。TV、新聞を挙げての騒ぎで朝日新聞は「日本人全てにとっての喜びだ」と。とんでもないことです。産むなとは言いませんが、関心がありません。そんなにみんなが大喜びしているとも思いません。にもかかわらず大変なことなんだという報道。メディアは皇室を悪利用しています。


(鈴木)報道している人は喜んでいるんじゃないでしょう。変なこと言ったら刺されるかもしれないと怖れて当たり障りのないことを言っている。「おぎゃーとお答えになられました」とよくわかんないけど敬語をちりばめたら文句を言われないだろうという。昔日、昭和八年昭和天皇が生まれて「皇太子さまがお生まれになった」という歌ができました。北原白秋作詞で、ものすごくいい歌です。脳天気なくらい明るい歌です。それを生徒に聞かせたら「北朝鮮の歌みたい」です。誰かを無批判にたたえると北朝鮮となるみたいです。


(西村)昭和天皇が死去した際の街頭インタビューで「天皇陛下がなくなられて大変……」という報告を部下が持ってきたので「本当に天皇陛下と言ったのか!」「いいえ」「だったら陛下をつけるな」というやりとりがありました。若い記者が「陛下」を付けないとやばいんじゃないかと思っている。「つくる会」を批判すると電話やFAXがうるさくて仕事になない。もちろん、事務所に何人か来ますけど、わざと喫茶店に行きました。朝鮮総連の人も同じですよ。人目があると机を叩くくらいしかできないんです。


「社長を尊敬するのは当然だから天皇を尊敬するのは当たり前だ」と労使交渉で言われたことがあります。天皇が死んだから弔意を示すためブラインドを閉めよう、と言われたこともあります。最高権力に付き従うのが当然という考えがあるのは怖い。陛下を付けていないのは朝日、毎日だけですがこれも年柄年中議論になる。あ、あと赤旗ですね。


(鈴木)この前、赤旗で陛下つけてましたよ。


(北村)それは猛抗議しないといけませんね。


(鈴木)その論理は変だよね。社長に対しても電話では「うちの佐藤は」と言うでしょ。家族でもそうでしょ。かえって呼び捨てにするべきです。だから愚国、弊国、拙国でいい。それで国民としての一体感がでる。

・反米と親米


(鈴木)元々は右翼は反米でした。ところが戦争に負けて天皇制を認めないというアメリカ以上の敵、共産主義が出てきた。これはいかんと反共が絶対、アメリカは忘れられた。本当の親米は赤尾敏だけですよ。赤尾敏は翼賛選挙のなかで一度当選しています。国会でアメリカと戦争すべきでない、ソ連と戦争すべきだと言ってます。テロリストを養成しただけではない、面白い人です。「賭け事に天皇の名前を使うなど許せん!」とか、天皇が亡くなったときも皆が活動を自粛していたときに「俺は銀座橋で凱旋するんだ!」と出て行ったり。生きているときはよく叱られて、うるさい爺さんだなと思ってましたけれども。


(北村)自由が必要だ、とも考えていましたね。


(鈴木)内心の自由、集会の自由を制限するのは駄目だ。自由が制限される自主憲法よりも自由のあるマッカーサー憲法のほうがいい。