子どもの本と戦争 〜児童書における戦争プロパガンダ〜

山中恒氏講演

青少年健全育成条例にムカツイていて、昨日藤本さんたちと記者会見をやってきた。コミケに行っている娘がお父さんは異質だという。児童文学の人間はマンガなんて俗悪なものは規制されるべきだと思っていると。

児童文学を読んで宮澤賢治に魅せられ早稲田の童話会に入るために早稲田に入った。そしたら小川未明の『月夜と眼鏡』は名作だと。がっくりきた。マンガ育ちの僕には小川未明はつまらない。母はマンガを読んだら目くじらを立てた。小川未明を買ってきたけど僕は読まない。病気になってマンガを交換できないから小川未明を読んだ。病気の子どもが外から呼ばれて、呼びかけた来た子どもと一緒に遊んだら三日後に死ぬ。怖いよ! 果樹園やると虫がついてダメになる。コウモリをつれた牛女がゆっくりと歩いてきて――怖いよ。子どもを脅かすために書いたんじゃないかと思った。

1960年安保の頃にプロとして出発した。みんな堅苦しい作品書いて、大まじめ。そういうグループが居心地悪くて飛び出した。児童小説ではなく、児童読み物と名乗って70年頃に都条例が出てきてマンガを弾圧しようという動きが出てきた。そこで児童文学協会は「俗悪マンガはよくない」といったらみんなそっち行っちゃった。

昭和6年満州事変、昭和9年国防の本義。ドイツのルーデンドルフ将軍が総力戦の『国家総力戦』で日本軍は精神的に統一されていると褒め称えたら陸軍大喜びでそのまま国体原理主義をつくった。もともとは明治維新軍人勅諭、昭和23年の教育勅語。これが戦前の教育を統一した。

小川未明浜田広介の作品が経歴から削除されている。何でだろう。今読んだらあきれかえるようなものを書いている。それを書かなかったふりをして戦後民主主義作品を書いている。

70年代に戦争児童文学(ガラスのうさぎ)が出てきた。そういうのが書きたいと思っていたけど、読むほどペテンくさい。「ほしがりません、かつまでは」を言い出した時期を変えている。『かわいそうなぞう』の舞台は昭和18年9月だが、空襲が盛んになった時期は昭和20年以降。土家由岐雄が戦争中何を書いたかいうとシンガポール侵攻を称える作品。はっきり言って(『かわいそうなぞう』は)偽造商品。戦争やめろなんて動物園で叫んだらたちまち憲兵が飛んできますよ。そういういい加減な作り方して、戦後名作になって8月15日になったら秋山ちえ子に朗読される。ちょっとね。と言ったらみんなにひんしゅくを買う。

戦争中のそーゆー本(児童文学)を2万点集めた。講談社の本が1冊100円で買ったものがいまや2万、3万。戦時下の本を高騰させたのは山中だという批判もある(笑)図書館から一括して3000万で売れという話もあるが、投機的に買ったのではなく、あの時代のおそろしさをもう一度認識したい。

調べていくと、日中戦争の翌々年に内務省が赤本を取り締まるからと編集者を集めてお説教をした。赤本というけれど立派な本じゃない。表紙と中身が違うような粗雑なものを取り締まるんだ。条例化の参考としたいと。小川未明は俗悪本を退治することは結構だと答えた。結果、昭和13年の児童図書改善に関する要項にみんな賛成した。敵はそれを口実にして、まもなく講談社の付録がやられます。やがてマンガのページを減らせ、雑誌が薄くなると長編マンガを載せられなくなる。

昭和19年に配属将校の吉田がアメリカを馬鹿にして「子どもも大人もマンガを読んでいる」僕はうらやましいと思った。アメリカいい国だなと。

日本の官僚は能吏。ちょぼっとした法律の拡大解釈がうまい。都条例の内容にびびった。戦前に近いことを出そうとしている。戦争中に出されたものは教育的でなければならなかった。何が教育的?何が不健全?それをおまわりが決める。今後、都条例は警察から来ている。この本(『戦時児童文学論』)は都条例を狙って出したものではないが、浜田広介坪田譲治がこんなすさまじいものを出さなければならなかったことを考えると、僕はそういうの書きたくない。

70年代に山中恒はエッチでろくでもないと世田谷区議会で議決されたが批判が起こって結局立ち消えになった。子どもの問題を書いちゃいけないという話がある。都条例は想像させないために出版物規制を考えている。もっと子どもの本の作家が神経質になっていい。俗悪な者を排除してもいい?反対すると(俗悪な作品を)擁護しているといわれてポルノ議員とののしられる。戦争中と全く同じことをしている。仮に可決されたとして、18歳まで禁止されていたものを突然解除されたら見当違いのメチャクチャなことやるじゃないか。子どももこっそりエロ本を見てますよ。

(戦前は)ルビを廃止せよという話があり、佐藤紅緑先生が怒った。ルビを振っているからこそ難しい字も読めるんじゃないか。そしたら木っ端役人は佐藤紅緑先生につらい態度をとるようになった。講談社に狙いを付けたのは、子どもの活字メディアに狙いを付けていたから。子どもの周りにこーゆー本(戦中の作品)があって、そうなってくると子どもがそっちに向かざるをえない。子どもの本は政治的に利用されるような危険なものである。

石坂啓×山中恒トークセッション

誰の発言かメモしてなかったので発話者に関して自信がありません。

(山中)子どもが可愛いと思ったことがない。
(石坂)先生の意地の悪さが透けて見える。小国民シリーズを見ていると本当につらい。あんなつまんない文化しかなかったのか。子どもの気持ちを向かせるのは簡単にできちゃうと怖さを感じた。
(山中)昭和13年の支持要項に関して、自主規制の会合を何回ももっている。その辺の過剰な対応の仕方。ならくに落ちてゆくように変わってゆく。最初に目を付けたのが佐伯郁郎。知り合いの児童文学作家に声をかけて、変なものばっか魅せてひどい弾圧を加えるじゃないですか。新聞・雑誌・輿論指導方針も編集者をいためつけ、作家にそういうの書かないでくれと頼む。笑うことさえ欲しがっちゃいけないんだな。そういう状況に追い込まれてゆく。やがて国体原理主義天皇機関説(否定)とつながる。
(山中)(指示要項には)以後、支那人をチャンコロと読んではならないとあるけど、心の中で呼んでいるくせにね。神奈川に引っ越したらいじめられて朝から晩まで泣いていました。すると友人が俺がなんとかしてやると、いじめていた奴を片っ端から殴る。すると先生が彼を怒る。朝鮮人だから。
(野上?)子どもを取り巻く状況が貧しくなって、悪役の支那人をやりたくないとか。なぜ食い止められなかったのか。
(山中)雑誌の付録は教育によくない。検証もよくない。我々もよくないと思いますよね。そこから突いてくるのが非常にうまいやり方。歴史から学ばないといけない。世論形成しやすいからマンガだったり俗なものから弾圧されてゆく。
(石坂)一コマだけ切り取れば下品、くだらないと言われるのかな。前後左右のページを見て言って欲しい。
(野上)手塚(治虫)さんの担当やっていたことがあったが、手塚さんがくやしがっていた。昭和30年代、マンガは俗悪だと言われた。ヒットマンガ家は叩かれやすい。山梨県焚書みたいなものがあった。マンガが何故こんなに叩かれるのかと。赤胴鈴之助は親孝行で素晴らしい、鉄腕アトムはダメだと言われた。ところがアトム(のTVアニメ)が放映されたら賞をもらって、世の中そんなもんですよと。あるときから優良マンガ扱いされることを嫌がっていた。
(山中)俺もマンガ描けたらな。手塚をケツに敷くくらいの作品が作れたのに(笑) 手塚と一緒にやっていてむかつくのは時計を気にすること。ただ、それを指摘したら次のとき時計をつけてこなかった。そのとき、この人は偉い人なんだなと思った。
(山中)今読んでみればギリギリ踏ん張っている作品もある。マンガは俗悪代表として扱われた。マンガがふりがなを付けているから小説でもルビはダメ、目を悪くして兵士として役に立たないからと。マンガを悪く言えば通用する、今回の都条例もそう。
藤本由香里)3月案では18歳未満の性交および性交類似行為が禁止され、守っているか都民が監視して抗議されたらしかるべき処置を打たなければならないといった悪書狩りを招きかねない条例案だったが、6月に否決された。普通なら否決されると出てこないはずだが、12月議会に新改正案が出てきた。都民の監視はなくなったが、不健全図書指定の範囲が拡大された。
(藤本)刑罰法規に関するもの、近親相姦。刑罰法規には淫行条例が含まれるため、18歳未満の内容は残っている。淫行条例も範囲が曖昧で県によって定義が違い、どこの県にマンガのキャラクターが住んでいるのかで飢餓って来るのか。SF、ファンタジーはどうなのか。東京都の話ではたとえ宇宙の話でも未来の話でも現在の日本の刑罰法規に違反しているかどうかで規制すると。将来刑罰法規が変わったらどうなるのか。3月は非実在青少年を対象とする条例案だったが、12月は非実在犯罪を対象とする条例案になった。
(藤本)この発想を許すと違法な行為を「不法に賛美又は誇張」した表現が禁止される。いまは性犯罪だけだが犯罪一般に広がったときはワンピースは海賊行為だからダメ、ルパン三世は泥棒だからダメ、となる。しかも、マンガアニメだけが対象で(実写は除く。)と。2004年までは生活文化局だったが、青少年対策を担っているのが治安対策本部。民主党政権になって法律が通りにくくなったので、治安立法的な条例を通してしまおうという流れの一環。戦前の内務省が子どもの本を規制のとっかかりにしたのと同じものを感じる。12/6の19時から中野ゼロホールで集会をやりますので参加をお願いいたします。
(石坂)マンガを書いている側からすると、何を基準にしているのかが分からない。どんな風にでも不変えることができる。書く側としても不自由。それまで書けていたマンガが急にめんくらって書けなくなる。
(石坂)人畜無害な、お上からここまでよろしいと許された範囲で描けるものか。ひんしゅくをかっても問題提起をしたい。女の子を主人公にして、強姦されたらどんなにむかつくかという作品が描けいたことがあったが、16ページ中4コマ以上エッチなシーンがあってはいけない。見開き両方エッチなシーンはダメ。明らかな性行為でも布団で隠していればOK。女の子が足を開いていてもパンツがあればOKと。
(野上?)判断自体が国家権力の側でできちゃう。編集部がびびるのも実態だが、そこから規制が始まってゆく。
(山中)条例が成立したら古事記に忠実に近親相姦描いたら発行禁止になる。戦前だと、卑猥な表現は許さない、駆け落ちものもダメと。対象はマンガだと思っていたら、足下に火が付いている状況が来る。
(石坂)憲法を変えたいと考える人からすれば、戦争前の教育を受けた人間は健全だしよく働いてくれるから良かったと考える。よく分からないけど。自民党の議員の方は「僕は妹に恋をする」を取り上げて、オタクの子ども達は近親相姦を薦めているわけじゃないのに、近親相姦を薦めているかのような言い方をする。広い形での言論弾圧
(山中)ペンクラブも反対声明を出したが、戦前もマンガをとっかかりに言論統制をやったことを入れてもらった。(規制が成立すると)子ども自体が活性化しなくなった。マンガを持ち歩いているだけで疑われるという世界。
(石坂)『戦時児童文学論』は私たちが手にすれば見てて哀しくなるような歴史だが、を安倍晋三が手にしたら「なるほど!こうやればいいのか」と思うくらいに大変な資料。漫画家から言わせてもらえば、戦争ってどこをどう取り上げても盛り上がる。映画にすると使いやすい。戦争を美化するアニメーションを新憲法草案を作っている奴らならジャニーズでテレビドラマ作りますよ。山中先生のようなひねくれた世の中の味方をしたほうがよい。
(山中)こんなにまっすぐな人間はいないと思います。こんどの条例も表現の自由そのものをターゲットにしている。まんがだけの問題ではない。美術家はあぶない。子どもの本だからといいかげんなこと言ってられない。

質疑応答

ところどころ誰の発言かメモしてないため、発話者が間違っているかもしれません。

小川未明は戦後批判されなかったのか?

(山中)小川未明は被害者の側に身をすり替えてしまいました。
(野上)戦後すぐに民主主義の時代だからといって日本児童文学者協会をつくりました。

作品に命をかけられないと言った人もいる

(山中)自己批判をきっちりやるべきでした。児童文学者も、大人の本の作家もそう。集団疎開でひどい目に遭ったのを地方の文化に触れていいことだと取り上げるような開き直りがすごい人もいる。
(野上)日本自身が反省してない
(山中)指示要項を作った佐伯郁郎は後に岩手の教育界を牛耳った。僕の名前をはっきりあげて山中恒ごときに批判されるいわれはないと。

最近の教科書についてどう思いますか。

(山中)教科書嫌い。勝手に教科書に僕の作品を載せた奴がいたけど、OKしてないぞ! 金が欲しい時期だったから示談ですませたけど。それが戦争中の資料を買う金になったと思えば。

都条例について源氏物語は規制されるのか。規制される前に源氏物語を漫画化したらどうか。

(石坂)私の画力を理解してないようです。規制されるのかどうかについては、引っかけようとすれば後付けでいくらでもできる。
(藤本)都に質問した記者によると源氏物語であっても例外ではない。性行為のシーンが微に入り細に入り描いていたらダメ。

従軍慰安婦も都条例でひっかかりますか。

(石坂)戦争体験はないが、山中さんの著作を読んでいるとこんな時代はとんでもないと感じる。戦時中を舞台にしたマンガも、今の若い人に読んでもらえるならといくつか描きました。雑誌に余力があれば隙間にちょこっと反戦慰安婦の作品を混ぜてもらえたが、今は雑誌全体が売れていない、余力がない。重い真面目系の話、差別問題が入っているのは出版物(商業誌)として載らない。
(石坂)辺見さんのもの食う人びとのエピソードをマンガで紹介しようとしたYJの編集者がいた。辺見さんから氏名を頂いて読みきりで書くこととなった。原作があるからといって、描きやすいかどうかは別。完結している名作を原作にしたときに原作読者を裏切らずマンガとして面白くと二重三重につらい。10年前の秋口に書き下ろしして、次の春に単行本にするときに絵を描き直して欲しいという依頼があった。慰安婦の女の子が逃げだそうとして兵隊に見つかって暴行を受けるシーンの一つが兵隊の服を着ている。軍と勘違いされるからと。その年の12月につくる会が発足しました。慰安婦に国は関与してない、慰安婦は金目当ての裁判をしていると。馬鹿な話も一万回いうと本当になる。今だと戦略練らないと10年、20年前と状況が違う。

作家の戦争協力が知られていないのは何故?

(山中)最近、山田耕筰の音楽活動についてまとめた本が出たが、途中で気持ち悪くなって読むのをやめた。彼は常に中心にいないと気が済まない。メロディが良ければいいということになっちゃって、ごく最近、平和団体の中で海ゆかばを演奏した馬鹿がいた。音楽は微妙かもしれない。民衆に歌われないと生活できないのでわからなくもない。

子ども達に一方的に押しつけても、子ども達は替え歌などで反撃するのでは?

(山中)私も僕たちは海ゆかばを「カバのへの字の歌」と呼んだりこっそりやっていました。ただ、そんなこと教師の前でやったらどえらいことになる。子ども達は生成のいうことをその場で聞いていても後ろ向いて舌出しているものだ。あまり権威的になっても服従しない。

太平洋戦争時に発禁になった『君たちはどう生きるか』についてどう考えますか。

リアルタイムで読んでいましたが、よくわかりませんでした。山本雄三自体が日本小国民文化協会に改編したご本人。その文庫の中に『君たちはどう生きるか』が入っていたから微妙。

BL、近親相姦をどうして人は愛すると思いますか。規制派は何故戦争できるようにしたいと思っているのか。

(石坂)漫画家はひねくれている奴が多い。昔から不思議でイヤな奴が多いのは何故かと思っていたら、最近わかりました。漫画家は色々なキャラクターを作る。全部いい人だと話が進まないので悪役を出す。感情移入して、人を憂鬱に、むかつかせるにはどうしたらいいかと色々とシミュレーションするからではないかと。いい人は自分の中に悪意がないので気づかず負ける。
(石坂)過去の戦争で痛い目にあわず得をした、人の不幸を感じない人がいるんだろうなあ。理解したいとは思わない。自分が石原というキャラだったら、命令する立場だと気持ちよかっただろうね。
(山中)マンガはお行儀の悪い文化ですから、模範的なマンガが面白いわけない。大人が子どもに対して勉強になるものを魅せたいというのは分かるが子どもからしたら不遜な話。
(石坂)小説は中身を理解するのに時間がかかる。マンガはめくった瞬間に多くの情報が飛び込んでくる。同じエロマンガでも、マンガ好きな人は女の子が大好きだから描いているのか、金がないから描いているのか、金になるから描いているのか分かる人は分かる。マンガを見る目のある子どもに任せるべき。
(山中)それは児童文学も同じ。最初の1ページで食いつかせないとダメ。会いたい、やりたい、見たいという妄想を押さえつけるいびつな人間を作るのが健全育成なのか。
(山中)珍太郎、石原慎太郎のことを珍太郎と言っているのだけど、珍太郎の原作で裕次郎主役で脚本を書いたことがある。裕次郎の映画で一番良かったものとして珍太郎が上げたのが僕の作品。珍太郎と一ヶ月一緒にいて、なんてこの子は甘えん坊なんだろうと思った。あの人はよく分かりません。いばることでかっこつけているんだろうけど。
(山中)裕次郎ほど人の良い奴はいなかった。裕次郎の前で慎太郎について文句を言ったら、僕が頷いたらダメでしょうと。兄貴に対して病的に怯えていた。何かあるんでしょうかね。