メイドさんに萌えてはいけない


Key作品に代表される”泣ける”シナリオの作品が美少女ゲーム業界を席巻していたのも今は昔、業界はオーガストに代表されるキャラクター中心の作品やNitro+TYPE-MOONに代表される「世界」で勝負する作品が大手としての地位を築いている。


この状況のなかで最近よく目にするのが属性を主軸に据えた作品だ。メイドさんといえば「メイド服を着用している、自分をご主人様と慕う献身的な女の子」であるとか、妹といえば「朝優しく起こしてくれて、自分のことを異性として愛しているが、その恋心を隠している」であるとか、ツンデレといえば「偉そうで生意気な態度を取っているけど、内心は全く逆で自分を愛している」であるとか、それだけで人格・性格を想像させるものに対する萌えの気持ちを属性と呼ぶ。メイドさんや妹そのものに対しても属性と呼ぶことがあるため、誤解を避けるためにメイドさんや妹そのものについては「キャラ」*1と呼ぶことにする。


”泣ける”シナリオの作品とキャラ中心の作品との違いは何か。東浩紀動物化するポストモダン』(講談社新書)を使って説明するならば、キャラクターの表層に存在する萌え要素を頼りに深層を探るのが前者、キャラというイメージと戯れるのが後者となる。動物的という観点で言えば、五十歩百歩ではあるが前者が読み込みという過程を経る分だけ動物的ではないと言えよう。だから、業界の潮流に逆らってでも敢えて言おう。メイドさん(妹、ツンデレ、etc)に萌えてはいけない。もしもあなたが人間でいたいのならば。それは何故か。


ラカンの三層構造を用いると、キャラクターは現実界に存在する。いや、あんな性格の人間が現実にいないだろうって? そのこと自体がキャラクターが現実界に存在することを証明*2している。キャラクターの表層たる萌え要素象徴界に存在する。そして、類似キャラクターを鏡像反復することによって得られたキャラは想像界に存在する。人間の手が届くのは象徴界しかないし、想像界なんて現実界からねじ曲げられたものなんて使うべきじゃないよね、ということだ。更には、想像界は多数の人間の意志によって形作られた物であるため逆らいづらい、個人の意志を押しつぶしやすいということも挙げられる。


以上によりメイドさん萌えてはいけないのだが、おたくはメイドさんに萌えてしまっている。その延長線上に発生している事象が嫌韓である。おたくと嫌韓に親和性が見られるのも、おたくがメイドさんに萌えてしまっているからだ。


嫌韓の場合は現実界に存在する個々の人間、個々の人間を象徴する韓国人という言葉が象徴界に存在し、韓国人/在日朝鮮・韓国人に対する2chでの鏡像反復(印象操作と言うべきか)によりイメージされた韓国というキャラが想像界に存在するという図式だ。美少女ゲームにおける萌えを正の萌え*3とすれば、嫌韓は負の萌えと言える。


閑話休題。それでは、どのようにすればメイドさんに萌えないようになれるのだろうか。個々のキャラクターに萌えること、すなわち象徴界から現実界に手を伸ばそうとすることだ。しかし、現実界は結局手が届かないものだし、想像界の産物であるキャラは恐ろしくも魅力的だ。となると、想像界に位置するキャラに萌えることは止められなくとも、せめて「騙されてる、騙されてるよ、私」と自覚しておくことが必要だろう。


結論。萌えはキャラクター、萌え要素、キャラの三層により構成されている。現在は、キャラに対する萌えが主流であるが、これは嫌韓にも繋がる。動物化に抵抗したいのであれば、せめて自分が想像界のイメージに騙されていることを自覚しておこう。

*1)それだけで人格・性格を想像させるもの。プロトキャラクター性のこと。伊藤剛テヅカ・イズ・デッド』(NTT出版)の定義による。

*2)「キャラクターは現実界に存在する」の対偶は「現実界に存在しないものはキャラクターである」となる。また、現実界は人間に到達できない場所という定義でもある。

*3)小泉人気も同様に「改革無くして成長なし」に代表される象徴界の言葉を反復して出来あがった想像界上の小泉総理のイメージに対して有権者が萌えるという構造だ。